2015年4月18日土曜日

掛け算九九と日本語

算数、数学の基本と言ったら九九を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

この九九はいつごろどこから来てどのように学ばれていったのでしょうか。

そこには、言語としての日本語と大きな関わりがあるようです。


それは九九を覚えやすくしている語呂の良さにも大いに影響されているようです。

日本人の中学生で九九が言えない人はほとんどいませんが、アメリカにおいては大学生でも九九の一桁掛け算をすべて言える人は65%程度となっているようです。

日本語では2☓4=8は「にしがはち」として覚えますが、英語では「Two by four is eight.」として文章で覚えることになります。

これでは、覚える方は丸暗記するよりも大変ではないでしょうか。


また、日本の九九は答えが一桁の場合には「が」が入ることによって、一桁であることが明確にわかるようになっています。

二けたになるときには、3☓4=12のように「さんしじゅうに」として「が」が入りません。

これで、一桁の場合とのリズムを取っていることにもなりまし、十の位が「ゼロ」であることを明確に表していることにもなります。


日本において見つかっている一番古い九九の史料は、奈良市の平城京跡で発見された8世紀末の木簡になります。

ここには、古代中国の数学書である「孫子算経」に使われている「如」の字が使われていることから、九九は中国から伝来したものと言われています。

九九は、もとは古代中国の読み方では「九九八十一」から始まっているために九九(くく)と呼ばれるようになったと言われています。


上記の古典型の九九でも答えが一桁の場合には「如」の次が加えられています。

日本で文字が使われる前に、中国ではすでに書物としての数学術が成り立っていたという当時としてはスーパー文明国であったわけです。

「孫子算経」は中国の南北朝時代(439~589年)の書物と言われており、日本に漢語が伝わる前に中国では九九が存在していたことが分かります。

一説には九九は、奈良時代の前に日本にわたり、平安時代の貴族の間では教養の一つとして扱われていたのではないかと言われています。


万葉仮名の中にも、九九を利用した読みが使われているものがあります。

二文字で一つの音を表すものとして二二と書いて「し」と読ませていますし、三文字としては八十一と書いて「くく」と読ませています。

万葉集が作成された時代は確かではありませんが、この時代においても九九がかなりの広がりを持って使われていたことがわかるのではないでしょうか。


九九の覚え方が、歌のようにリズムに乗って短い言葉でできることは、暗算の能力に大きく影響を及ぼすであろうと思われます。

それは、「いろは」を文字として覚えるのではなく、「いろは歌」として意味のある言葉のつながりとして覚え方を創り出したことにつながるのではないでしょうか。

「いろは」が歌になっていなければ、すべて覚えている人の数が激減したと思われます。


「いろは歌」に一つだけ含まれていない仮名があります。

最後の仮名と言われる「ん」です。

明治36年に「ん」を含んだ48文字による新しいいろは歌が新聞社によって公募されました。

その結果、埼玉の算数の教諭をしていた人の作品が採用されました。

「とりなく歌」として登場したこの歌は、「とりな順」としても広く利用され、「いろは」と同じように、出席簿や教室の順番などにも利用されました。

現代では、ほとんど知る人のないものとなっているのではないでしょうか。


同じように九九を覚えるための語呂合わせが、非常にうまくできていることが日本人全体の数字に対しての能力を引き上げていることにつながっているのではないでしょうか。

数字に対しての能力の高さは、暗算において顕著に表れると思われます。

海外で買い物をした時などで、3桁の暗算を苦もなくこなしている日本人は驚きの目をもって見られているそうです。

日本語での数字の表し方が、いかに効率よくかつ正確にできているかについては、他の言語による数字の読み方と比較するとよく分かると思います。
(参照:数字の読み方に見る暗算能力

このあたりにも、他国の優れた文化を導入するときにそのままの言語を持ってくることなく、日本語に置き換えていったことのメリットが大きく出ているのではないでしょうか。

侵略されて植えつけられたものではない、自分たちが取り込んで自分たちのの文化環境に合うものに変化させていった跡がうかがえると思います。

あらためて、凄い言語ですね、日本語は。