これからの日本語の磨き方としてたびたび取り上げているのが、「現代やまとことば」です。
やまとことばという言葉もいろいろな使われ方をしていますが、このブログでは一貫して以下のような使い方をしています。
「古代やまとことば」・・・文字のない時代に話し言葉だけで使われていた、原日本語としての言葉。
「やまとことば」・・・万葉仮名で文字を与えられて以来、和歌を中心に磨き上げられた日本独特の言葉。
このように使い方を決めていますが、このままで行くと「やまとことば」の時代がとんでもなく長いことになります。
更には、現代においても「やまとことば」が継承されていることにもなります。
日本語が持っている基本的な感覚が、「古代やまとことば」を発端として「やまとことば」によって磨き上げられてきたことを疑う人はいないでしょう。
しかし、その言葉一つひとつについては意味や使い方において時代とともに変化をしてきており、使いこなすことが難しくなっていることも間違いのないことです。
文字のない時代からの日本語の感覚を現代に伝えているのが、「古代やまとことば」を表すために発明された「ひらがな」です。
漢語を元にして、その音から「古代やまとことば」の持っていた音を表現し、更には極めて簡素化された文字にまで昇華させたものとなっています。
世界に誇る独特の日本文化を築き上げた原動力は、「ひらがな」の発明にあったと言ってもいいのではないでしょうか。
「現代やまとことば」とは、そんな「ひらがな」を徹底的に生かそうとするものです。
話し言葉としては、できる限りひらがな言葉に置き換えてみることであり、文字としては出来る限り訓読み漢字とひらがなを使おうとするものです。
そして「ひらがな」によって、日本語を母語とする者ならば誰でもが感じ取ることができる感覚を、上手く使っていこうとするものです。
義務教育以前であっても、持っている言葉や使っている言葉はたくさんありますが、それは母親を中心に伝承されたきわめて個人的な言語となっています。
極端な場合は方言そのものであったりもして、同じ日本語話者に対しても理解されにくいものとなっています。
小学校に入って義務教育として習得する国語が、日本語としての共通語となります。
日本の小学校においてはどこであっても同じ理解ができるようにするために、日本語としての共通語として国語を習得することになるのです。
その国語の最初の言語がひらがなです。
日本の義務教育における国語科の目標は、読解力の習得にあります。
口頭や文章による表現力よりも、様々なスタイルで書かれたものを読んで理解する読解力に重点が置かれた教育となっているのです。
これは仕方のないことでもあります。
国語や習字、技術家庭科以外のほとんどの教科が、欧米を起源とするものであり、その論理構成については日本語のもっている感覚とは異なった要素が沢山ある学問となっています。
社会の歴史においても、近隣国や世界を意識した表現を取らざるを得ない教科書は、そこに使われている国語の表現についても本来の日本語の感覚とは異なったものとなっています。
義務教育で身に付けるべきものは、全て国語によって習得してくことになるのです。
しかもそのほとんどが、日本語が継承してきた本来の感覚とは必ずしも一致しないものとなっているのです。
当然のように読解力が求められるようになってくるのです。
それでも知識として詰め込まれ、その確認としてのテストが行なわれますので、丸暗記の能力が高い子どもがいい成績を取ることになるのです。
小学校の成績の良さは暗記と記憶の能力だけで作ることができますが、その後は少しずつ考えることや読み取ることが増えてきます。
しかも国語としてのルールがありますので、自分勝手な思考や読解は正解とはされなくなってきます。
それぞれの教科に応じた、独特な論理が前面に出てくるのが中学の専門担当による教科になってきます。
このころになると、それぞれの専門教師は国語について意識することはほとんどありません。
自分の専門領域のことだけのなかで授業を行ない、成績を付けていくことになります。
国語は国語のなかで、他の教科との関連が考慮されることなく独特の教科として存在していくこととなります。
日本語という古代の言葉を継承する独特の言語によって、言語の感覚としては異質性を多分に含んだ西洋学問を基本とする教科を学習していくことになります。
それぞれの教科のもとである教科書はすべて国語で書かれています。
国語というルールのなかでの基本が身につくのが、小学校の3年生くらいです。
そのために3年生からは専門教科も増えて、思考することが含まれてくるようになります。
個人差も大きく存在するのがこのころです。
丸暗記することは出来ても、それぞれの教科の持つ独特の感覚の中で思考することはなかなか難しいことになります。
それが小学校の3年生頃から始まるのです。
小学校の高学年になると、教科による好き嫌いが現れてくるようになります。
国語による教科別の理解の差が大きな原因であると思われます。
各教科の理解は、そこに表現された国語によって行なわれていることになります。
あらゆることの理解の源泉が、国語にあると言ってもいいのではないでしょうか。
その国語の原点がひらがなです。
ひらがなな習得はあっという間に終わってしまいますし、その後もかなり軽視されてると言ってもいいのではないでしょうか。
ところが日本語における伝達の基本は、そのほとんどがひらがなによるものです。
ひらがなは、言葉も使い方もきわめて規則性がありわかり易いものとなっています。
誰でもが国語として同じ理解ができるものとなっているのです。
このチカラを生かさない手はないと思います。
どんな状況におおいても、日本語を母語として持っている人の感覚や理解においてひらがなで表現できることが共通理解の早道になっているのです。
ひらがなで表現しきることを「現代やまとことば」と呼んでいます。
世代を超えて、国籍を超えて、環境を超えて、日本語を母語とする者であればだれもが同じ感覚を持って理解することができるのが「現代やまとことば」ではないでしょうか。
漢字の熟語や難しい専門用語は「現代やまとことば」に置き換えてみませんか。
置き換えて表現してみようとするだけでも、伝わり方が違ってきます。
一番の効果は、「現代やまとことば」で表現しきれない言葉は、自分自身で本当の理解ができていないとわかることです。
人に説明するときに「現代やまとことば」で表現できないということは、自分自身で分かっていないということなのです。
これはとても役に立ちます。
「現代やまとことば」で表現をしてみようとすることだけで、自分の理解がどの程度かわかるのです。
言い換え、置き換えが理解を促進することはよく知られていますが、それを「現代やまとことば」でやってみることは更なる効果が期待できそうですね。