確定申告に行ってきました。
説明書も案内もとにかくわかりにくいですね。
税務に関わることですので法律で規定されている手続きに従わなければなりません。
一般の人にはわかりにくい言葉がたくさん並んでいるだけでなく、言葉の使われ方までが一般的に使われているものとは異なっています。
この環境になじんでいる人たちにとっては、一般的な表現よりも正確でありわかり易いものとなっていると思われます。
彼らだけの世界であればそれでもかまいないと思われますが、実際に申告を行うのは一般個人です。
その差を埋めるために、税理士、会計士などの国家資格や経理という専門分野が生まれています。
その分野が一般からかけ離れていればいるほど、専門領域として孤立していくことになるとともに、そこに携わることによる価値が高まることになります。
しかもその業務や手続きが法的に定められているために、避けて通ることができません。
誰もが行なわなければならないものとなります。
サラリーマンであっても、結果として企業が代行していることになっているわけです。
同じような環境にある事柄が法律の世界ということができるでしょう。
しかし、法律は何か争いごとや事件があった時にその判断の指針になるものであって、平時において誰しもが必ず関わらなければならないものとはなっていません。
それだけ、税金については間接的な関わりまで含めると、すべての人に関わりがあることになります。
必ず何らかの手続きを行わなければなりません。
知らない間に誰かがどこかで代行したり包括していたりするだけのことで、対象はすべての人となっています。
にもかかわらず、ある種の専門的な理解ができないと申告すらできない状況となっています。
基本的には申告の作業は、一年い一度のことです。
その時は手続きを覚えたとしても、一年後にはほとんど忘れています。
一年の間で、それ以外には行うことがない手続きですので、まず覚えていることができないのです。
また、一般的な生活においては全く必要としないことがほとんどですので、記憶が呼びおこされる機会もありません。
毎日パソコンに触れ、インターネットにつながっている私でも、国税庁の税務申告書作成の画面は、よく分かりません。
書類の分類や必要な書類の名前が、自分の持っているものでいいのかどうかすらが分かりません。
保険会社等から送られてくる通知については、「税務申告に使用します。」という但し書きがあったりしてわかり易くなっているのに比べると、何をそろえていいのかすらが分からないのです。
結局は、必要と思われる書類を抱えて、この時期に開かれている申告相談+申告書作成に行くことになるのです。
わたしは、今回で3回目になりますが、申告書作成の画面にログインしてからも画面の指示だけでは先に進むことができません。
今回も、担当の係の人に記入する項目と漏れがないかを確認しながらでないと完了することができませんでした。
実際に入力している項目は、本当に限られたものしかないのにです。
どうしてもっと誰でもができるような説明の仕方ができないのでしょうか。
同じことをやらせるにしても、もっとわかり易い説明の仕方があるはずですし、説明を受けながらその場で普通の言葉に置き換えて作業をしていたら、隣の人に感謝されてしまいました。
特殊な人だけが申告を行うのであれば別です。
直接間接を含めて、すべての人が申告をしなければならないのですから、誰でもがわかる手続きである必要があるのではないでしょうか。
専門分野でありながらも、その対象がきわめて大きな範囲にわたって誰もが利用しなければならない様な環境にあるものは、手続き上の専門家を作ってはいけないと思います。
手続きは、どんな人でも簡単にできる説明が出来上がっていなければならないと思います。
これによって、かなりの税理士が職を失うことになるかもしれません。
しかし、税理士の職務の中心は申告の代行ではないはずです。
本来の税理士の職務に注力できるようにするためにも、申告の手続き上の簡素化や説明能力はあまりにも目が向けられていないものではないでしょうか。
税の専門家にやらせたら無理に決まっています。
自分の首を絞めることになるからです。
専門家を集めての対策の欠点がここにあります。
あくまで視点は、一般でなければならないのです。
日本語の感覚は、一般の感覚を常に持つことができることです。
自らのなかで、行き過ぎや持ちすぎに対してのブレーキがかけられることです。
税務申告で、あらためて日本語の感覚が捻じ曲げられている場面を見た気がしました。