2015年3月28日土曜日

話す言語、書く言語

話すことに向いている言語と書くことに向いている言語があると思われます。

それは、その言語が持っている文字によって決まってくるものだと思われます。

文字自体に意味があれば、書くことによってその意味がより明確になることになるからです。


話すことに向いている文字を持っている言語では、どうしても文字にすることよりも話すことの方に重きが置かれることになります。

また、書くことに向いている文字を持っている言語では、話すことで伝えようとすることの意識が薄れることにつながるのではないかと思われます。


手紙という習慣がどんどん減ってきています。

たまに来る手紙も印刷をされたものが多くなり、手書きの文字を見る機会が減りました。

しかし、文字を書くことは決して減ってはいないのではないのでしょうか。

メールやSNSと言った、手紙とは異なった媒体による文字表現がとても多くなって生きています。

実際には、書くと言ってもキーボードに入力していることがほとんどになっているわけで、手で文字を書いているわけではないのですが・・・


書くことに向いている言語の典型が中国語になります。

現存する言語文字のなかで唯一残っていると言われる表意文字である漢字だけで出来上がっている言語だからです。

理解とか信頼性とかといった基準で見てみると、文字として書かれたものの方が話し言葉よりも高いものとなっています。

話し言葉としては何十種類の表現があり、中国語同士であっても通じない場面はたくさんあります。

それでも共通理解として成り立っているのは、漢字という表意文字を持っているからです。

話し言葉でなされる約束事と、書面にされた約束事との違いは、私たちが思っている以上に大きなものとなっているようです。


アルファベットを使用する言語を使う人たちに次いで多いのが漢字を使用する言語を使う人たちです。

両者を合わせると、世界の人口の半数近くに上ることになります。


アルファベットは表音文字であり、文字自体はある意味の発音記号的なものであり意味を持ってはいません。

文字が音になった時に初めて意味を成すものとなっています。

したがって、アルファベットを使用した言語は話し言葉に向いていることになります。


アルファベットは表音文字と言っても、その文字と音が一対一になっているわけではありません。

アルファベットの組み合わせによっては同じ文字であっても音が変わるものが多くあります。

特に母音においては子音との組み合わせによって、おなじ aであっても catと gameでは音が異なります。

その意味ではアルファベット26文字の26音ですべてが表現できるものとはなっていません。


さて、日本語はどうでしょうか。

漢字という表意文字と仮名という表音文字の両方を持った言語です。

しかも日常的な表記が漢字仮名交じり文(和漢混淆文)となっている言語です。


漢字は表意文字ですが、一つの漢字が複数の音を持っている漢字がたくさん存在しています。

それに対して、仮名は文字に対して音が一対一で対応している完全なる表音文字となっています。

かつては「てふてふ」と書いて「蝶々(ちょうちょう)」と読んだり、「けふ」と書いて「今日(きょう)」と呼んだりすることもありましたが、現代では完全に音と文字が一致したものとなっていると思います。

日本語を習う場合にひらがなから始めることは、話すことにおいては誠に理にかなっていることと言えるでしょう。

どんな言葉であっても、ひらがなでふりがなをしておけば読むことについてはすべて可能だからです。


その漢字とひらがなを併せ持った日本語は、理想的な言語と言えないでしょうか。

話すことにおいても書くことにおいても、両方の特徴を併せ持った言語となっているのです。


書くことに向いている言語においては、その文字の美しさや書き方が絵画や彫刻などと同等の芸術の領域になっています。

さまざまな書き表し方が残っています。

書かれた文字そのものの美しさを愛でる感性もそこにはあります。


漢字からその美しさを学んだ日本語は、仮名にもそれを生かしてきました。

仮名だけで書かれた文字は区切りがなくとても読み難いものとなっています。

漢字の草書体から作られたと言われているひらがなは、縦書きで書かれるのが本来の姿です。

仮名だけで書かれた和歌も、意味する単位である文節単位では続き文字として書かれることで、より理解しやすいようになっていたのです。

続き文字が途切れているところが、言葉や文節の切れ目となっているのです。


仮名が確立する前の音として漢字を利用した文字は、崩されていてとても読みにくいものです。

当時の人であったとしても、元の文字を理解することはかなり難しかったはずです。

それを続き文字で表すことによって区切りをつけて、理解しやすいようにしていたのではないでしょうか。


仮名で表される言葉は、ほとんどが日常語でありその一部を理解できれば、なんとなく言葉全体が理解できるものとなっています。

一字ずつを正確に読めなくとも、言葉としての理解はできたのではないかと思います。

それは現代でも通用することになっています。


以下のひらがなだらけの文を読んでみてください。


一文字ずつを丁寧に拾って読むと訳の分からない言葉になっていますが、さっと読んでしまうとほぼ完全に意味が分かってしまいませんが。

スペースで区切られた文節には、一つとしてまともなものはない書き方となっているのです。

ここでは区切りとしてスペースを設けてありますが、まさしく書いてある通りに意味が読めてしまうのです。


ひらがな言葉は、日常生活で使われる耳にしたことのある言葉が多くなります。

全ての文字や音が確認できなくとも、聞きなれた音や見慣れた文字によって推測から理解できてしまうようです。


上から下へ流れる文字の形は続き文字によって区切りを整えていったのではないでしょうか。

横書きで続き文字にすることは出来ないと思います。

句読点のない時代の偉大な工夫ではないでしょうか。

無理にやれば文字自体の形を壊してしまい、理解できなくなってしまいます。


日本語は、書くことにも話すことにも向いている言語です。

しかし、書くときには漢字という表意文字をを生かすように、話すときには昔からの音を継承している仮名を生かすようにすることが大事になります。

書くときにひらがなばかりであったり、話すときに音読み漢字ばかりであったりしたら、それだけで理解する気がなくなってしまいます。


せっかく持っている素晴らしい特徴を生かして使いたいですね。