日本語は、音として持っているものは仮名としての音だけになります。
それはすべての日本語を仮名の音で表現できることでわかることになります。
それに対して文字としての表現に使えるものが、漢字、仮名(ひらがな、カタカナ)、アルファベットとあります。
日本語の文字としての標準の表記方法は、和漢混淆文と呼ばれる漢字と仮名で表記されたものになります。
日本語の感覚としては、仮名によって構成されているものが多くなっています。
もともとの言語が文字のなかったころより使用されていたものであり、その音が原点となっているために話し言葉に日本語の感覚が多く反映されていることになります。
仮名は、文字のなかったころの音だけの言葉に対して、漢字を利用して生み出された言葉を表記するための文字となっています。
したがって、日本語の原点である言語はひらがなで表記される言葉にあるということができます。
私たちは義務教育において、日本語の共通語としてひらがなを最初に学びます。
学校でひらがなを学ぶ時間は延べ時間でも24時間程度となっており、あっという間に過ぎてしまいます。
それでもひらがなを理解できない人は、一人もいないものとなっているのです。
漢字は中国の文化を導入するときに、彼らの使っている言語として導入されてきました。
当事の世界最先端文明である中国文明の恩恵にあずかるためには、一種の専門用語としての彼らの言語を導入する必要があったのです。
漢語で書かれた書物によってそのほとんどを理解しようとしたときに、文字を持たない古代の日本語(古代やまとことば)に翻訳する行為が必要になりました。
漢語を漢語のままで理解することは不可能だったと思われます。
そのために工夫されたのが、漢語を古代やまとことばに置き換える方法です。
漢語は表意文字ですので、基本的な文字や部首の意味が分かれば複雑な漢語であってもかなりの部分を理解することができます。
漢語には漢語としての読み音がありますので、そのままの音を伝えても日本語としては伝わりにくいものです。
意味が見えるようになった漢字に対して、同じ意味としての古代やまとことばの話し言葉の音を与えたものが訓読みとなっていたと思われます。
したがって、訓読みの漢字は、漢語の文字を借りながら古代やまとことばの音を与えられたものとなっているのです。
音としては一番古い感覚を持った言葉を継承してきているものです。
言葉の意味を理解しようとするときには、漢字を使ったほうが理解がより鮮明になります。
漢字という文字そのものが意味を持っていることによって、漢字の構成やつながりを理解することができるからです。
漢字を言葉で説明することは難しいことになります。
また、形としての漢字を理解したところで本来持っている意味を理解出来るとも限りません。
伝えるためには、日本語の原点であり共通語である仮名による表現が、その言葉の感覚を含めて理解しやすいものとなっています。
仮名による言葉は時代によって変化をしてきていますが、その基本においては古代やまとことばとしての感覚を継承しているものです。
しかも、音としては日本語の基本的な感覚の基盤となっているものです。
特に明治維新期の海外文化の大量導入時には、数多くの新しい漢字や熟語が生み出されました。
それは単なる置き換えの言葉を生み出したわけではありません。
原語の意味を理解したうえで、それにふさわしい意味を持つ漢字を組み合わせたり見つけ出したりしながら言葉を作っていったのです。
それだけでは足りませんので、あらゆる分野にある漢字が導入されたのです。
仏教用語はその最たるものでした。
意味を持たせずに音としての言葉だけをコピーしたものは、カタカナで良かったのです。
その時に用意された漢字の持っている意味の感覚と原語の持っている意味の微妙な違いは、その言葉に対しての感覚の違いとして残っていることになります。
「right」と「権利」、「freedom」と「自由」、「speech」と「演説」などその例は限りなくあります。
全く同じ感覚となっている言葉はないと言えるのではないでしょうか。
始まりは訳語だったかもしれませんが、漢字となったことによって原語とは感覚の異なる日本語となったのです。
似たような感覚を持った言葉ではあると思われますが、決して同じ意味とはなっていないのです。
言葉を理解することは、自分だけの行為ですので他者の解釈を気にする必要はありません。
漢字で理解することで、その言葉の持つ背景を理解することができるのです。
それは、漢字の構成から来る成り立ちかもしれませんし、故事成語としての成り立ちかもしれません。
音としての言葉ではとらえられない言葉が持つ感覚を感じることができるのです。
伝える時には、いろいろな解釈をされては困ることになります。
共通語の音として確実なもので伝わって欲しいのです。
それには仮名の言葉が一番適切なものになります。
漢字を音で伝えると、同じ音の言葉がたくさん散在しており、確実性に欠けることになります。
仮名の言葉として伝えることで、より確実に伝えることが可能となります。
漢字で理解し、仮名で伝えることは、日本語の感覚を生かすためには必要なことではないでしょうか。
少し意識してやってみると、その効果がよく分かると思います。
仮名で伝えることは、実際にやってみると思っているよりも難しいことです。
思わず、音読み漢字の熟語がたくさん出てきてしまいます。
音読み漢字の熟語がたくさんあるほうが、立派な表現だと勘違いしていることもあるのではないでしょうか。
伝えるためには、誰にでも同じ理解ができる伝え方が大切になります。
世代を超えて、誰もが確実に同じ理解のできる言語が仮名なのですから、積極的に仮名表現を使ってみたいですね。