言語と思考の関係については古くよりさまざまな仮説が唱えられていますが、いまだに決定的なものがないようです。
それでも、何かを考える時には無意識であっても言語を使用していることは理解できると思います。
言語を使用しない思考というものが可能なのかどうかについては、いろいろな考え方があるようです。
また、複雑な思考は言語なしでは不可能であることも事実であろうと思われます。
論が分かれる大きな点は、非言語による思考や感覚の部分をどうとらえるかということにあるようです。
いずれにしても、言語が思考に影響を与えていることは間違いありませんので、言語が異なれば世界観が異なるということが言えます。
世界観を同じにしようとするには、言語を統一する必要があることになります。
しかも、人の言語は母語によってその大部分が影響を受けていますので、世界観を同じにするためには同じ母語を持たなければなりません。
母語は、主に母親によって幼児期に伝承される言語ですので、一人ひとりが異なった個性的な言語となっています。
同じ母を持つ兄弟であっても、母語習得の環境は同じではありませんので、同じ母語を持っているわけではありません。
双子の感覚が一般の兄弟よりもはるかに近いものがあるのは、ほとんど同じ環境において母語を習得しているために、持っている母語がほとんど同じであることが大きな要因であると思われます。
それでも、全く同じ母語であるとは言えないと思います。
非言語による感覚を、言語が持っている感覚として、具体的な言語ではなくとも言語の感覚の一部とみることもできますし、厳格に具体的な言語だけを取り上げることもできます。
それによっては、言語の与える影響の大きさに差ができることになります。
私自身は、非言語の感覚も言語の一部だと考える立場をとっています。
それは、すべてが感覚から始まっているのではないかと考えているからです。
感覚を表現するのに適した言葉が見つかったものが、言語として存在しているだけであり、非言語による感覚とは表現できる言語になっていないだけのことではないかと思っているからです。
それを無理に言語による表現をしようとすると、「~のような感じ」という持っている言語による比喩表現になるのではないでしょうか。
日本語という言語のカテゴリーがありますが、これが日本語であるとして具体的に日本語のすべてを示すことは不可能です。
ただし、日本語からの定義ではなく、耳にしていたり読んだりしている具体的な言語が日本語であるかどうかは簡単に判断できます。
使用されている言語を何語であると分類することは可能であっても、これが何語であると言語を規定することは出来ないと思われます。
それを無理に規定しようとすると、他の言語との比較においてしかできないのではないでしょうか。
同じ日本語とは言っても、厳密に言えば実際に使われているものは一人ひとり異なる日本語となり、すべての人が同じ日本語を使っているわけではありません。
したがって日本語の世界観と言っても、全ての日本語話者が同じ世界観を持っているわけではありません。
それでも、日本語という言語カテゴリーが他の言語とは異なった特徴を持っていることが、他の言語話者と比べた時に世界観が違っているということになります。
日本語話者だけのなかで生活・活動している場合には意識することも考えることもないことだと思います。
様々な分野で世界がボーダーレスになっていくことは、嫌でも自分たちの母語について考える機会が増えることでもあります。
世界の共通語として自分たちの母語が存在していない限り、言語の違いによる基本的な世界観の違いを認識しておかないと正確な理解ができなくなります。
正確でないどころか、誤った理解の原因になることの方が多いのではないでしょうか。
日本語の感覚は、他の言語に比べると環境との共生を重視する傾向があります。
他の言語に比べると、相手の様々な変化や反応に対しての感性が敏感であると言えます。
簡単に行ってしまえば、他の言語話者よりも日本語話者の方が相手のことを気にする傾向が強いということになります。
結果として、日本語話者の方が相手の言語の感覚や世界観に合わせる方が現実的だということになります。
世界観の違いが、他の言語話者よりも日本語話者の方が先に気になってしまうことになるからです。
これも日本語が持っている世界観の一つなのでしょうね。
日本語だけを考えていても、日本語の世界観は分かりませんし特徴も見えてくることはありません。
他の言語との比較において初めて見えてくることだと思います。
言語の特徴は人の活動において現れます。
言語だけの比較では見えてこないことも、人の活動の傾向を見ることによって理解できることも多くあります。
いろいろな言語に出会うことによって、新たな日本語の特徴が見つかるのではないでしょうか。
日本語の中だけにいたのでは、決して気がつくことのない日本の特徴が更に見つかって欲しいものです。