2015年2月4日水曜日

欧米型言語の感覚による侵略

日本が本格的に欧米型言語の感覚を取り込み始めたのは、明治維新からだと言えるでしょう。

それ以前では、幕府のほんの一部で行なわれていたオランダを中心とした海外情報の収集活動に過ぎませんでした。


明治維新はまた、待った無しの一気の西欧化であり、腰を据えてじっくり取り組む時間もありませんでした。

のんびりしていたら、西欧列強の植民地としての草刈り場になる危機をはらんでいたからです。

それを逃れるためにも、富国強兵の早期実現のために少しでも早く、西欧技術の習得が必要だったのです。


その意味では、西欧の産業革命を経験した先端文明との接触は、わずか150年前程度のことであるともいうことができます。

1500年を超える独自文化を熟成させてきたことに比較すれば、ささやかなことと言っても良いのではないでしょうか。


明治維新の時には、あらゆるものが変わりました。

その一つに教育があります。

明治19年には、義務教育の始まりを見ることができます。

西欧文化に追いつけがが国是ですので、とにかく何でもかんでも取り込んでいった様子が残された資料からも伺うことができます。


日本文化に馴染む間も無く取り込まれた西欧文化は、まさしく和魂洋才を地でいくが如く表面的な技術や論理をそのまま導入されていきました。

これが日本化されていったピークが太平洋戦争ではないでしょうか。

戦後70年になる現在では、戦後のGHQによって軌道修正された、欧米型言語の感覚が日本の復興の原動力となりました。

そのこと自体は決して不幸なことではなかっと思われます。

自らが進んで他国の文化を取り込んだことはあったとしても、自らの意思とは異なった強制力を持って行なわれた文化の移植ではなかったでしょうか。


明治維新の時にも太平洋戦争後にも持ち上がった議論があります。

それは日本の国語を英語にすることでした。

結果として、日本の国語は日本語が残りました。

そのお陰で、1500年以上の歴史文化が継承されることとなったのです。


それでも実社会においては、欧米型の技術と論理が支配するようになりました。

世界との交易においても、その方が遥かに都合が良かったからです。

その後便利さとわかり易さゆえの、欧米型言語の感覚による管理や技術を中心とした論理が企業経営や組織運営においてどんどん取り込まれてきました。


人を中心とした思考は、人にはとても都合がよく、時には人すらも目的実現のための道具として捉える考え方は運営側からすればとても使いやすいものでした。

それは江戸時代に管理する側の論理として用いられた朱子学に似ており、日本人が醸成してきた感覚とは合いやすいものでした。

日本語が持っている感覚は、変化する環境に対応して自己を変化させることで適応していくことです。

社会の枠が決まっており、それぞれの位置付けが明確になっている方が活動がしやすく集中できるようになっています。

個を中心とした欧米型言語の感覚とは反対の感覚なのですが、組織や仕組みという明確な枠があると活動がしやすいこともその感覚なのです。

環境と折り合いをつけることが得意なのもまた、日本語の感覚なのです。


共生しようとする環境があまりにも変化しすぎると、自己の対応が追いつきません。

環境がある程度固定化されていれば、その中における活動に専念できることになります。

お上、村、部族、社会、会社、起業、組織などは環境のわかり易い枠として、そこにおける自己を設定しやすいものとなっていたのです。


人(個)を中心として環境を変えていこうとする感覚が欧米型言語の感覚ということになると、日本語型の感覚は環境の変化に対応して人(個)が適応していくことになります。

欧米型言語の感覚の中に浸り続けることは、それだけでストレスとなっているのです。

学校教育を初めとして、あらゆることが欧米型言語の感覚で作り上げられてきましたが、その感覚に対する不自然さや違和感がいよいよ限界にきているようです。

日本語の感覚に素直に従っていくことを選択してもよい時期に来ているようですね。






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