母語、国語、生活語と呼ぶことができるこれらの個人言語の要素は、取得する時期やその中心となる役割がそれぞれ異なったものとなっています。
母語は、幼児期を中心にして主に母親から伝わることによって習得する伝承言語となっているものです。
幼児の発達のために必要な人としての基本言語であり、人としてのすべての器官や機能が母語を使うのに最適となるように発達していきます。
その後の言語習得のためにも、知的活動のためにも一番大切な基本言語となるものです。
しかし、伝承言語である母語には、母親の持っていた言語から伝わっていくことによってきわめて個性的な個人的な言語となっています。
思考能力や表現能力が備わっていない幼児の子どもたちが、母語同士でコミュニケーションをしてもほとんど通じないのは、母語だけでは一般的な言語が完成していないことを意味しています。
母語はまた、次の習得言語である国語を習得するための基盤ともなるものです。
義務教育の始まりと同時に、ほとんどの人が国語の習得をするようになります。
国語は、日本語を使うことになる人が共通知識や共通ルールを習得するために必要な、日本語としての共通語といった役割になります。
母語においては個人的な言語ですので、他者や社会との共通性は必要ありません。
しかし、社会で生活したり生きていくためにはどうしても必要な知識やルールがあります。
これについては、一人ひとりの解釈が異なってしまっては、ルールとして存在できなくなります。
そのためにも、同じ言葉で同じ解釈が限定された共通語が必要になります。
それが国語です。
国語は日本語の一部であり、共通語として解釈や用法が限定されて規定されたものとなっているのです。
共通語としての国語によって、生きていくために必要な最低限のルールや知識を学習していくことになります。
この知識やルールは、個人としてのものでもありますが、その多くは他者や社会で生きていくためのものとなります。
義務教育で国語としての日本語を習得した人は、日本語としての共通語を身につけることになるのです。
この国語によってあらゆる学習をしていきます。
国語の学習が遅れると、すべての教科に遅れが出てしまうことは教育現場ではよく見かけられることです。
算数が苦手な子供に算数を教えても、決してうまくいきません。
算数が苦手な子供には、算数の教科書や論理が理解できるための国語のチカラを習得することが大切になるのです。
理科系の科目について苦手意識が強い人が多いのは、文科系の科目に比べて使用している言語がより限定的であり論理が重視されているからです。
その感覚がつかみにくい場合には、苦手意識が出てしまうことになります。
三つ目の言語である生活語については、専門分野における学生活動や社会生活における業界や企業の特殊性によって異なってくる、専門用語や業界用語が例として挙げられるのではないでしょうか。
極端な場合には、論理の構成から文脈、使うべき単語まで厳格に指定される学術論文のようなものまで存在します。
専門家として、その環境の中だけでの生活が長くなってしまうと、そこにおける言語がその個人の中で占める割合がドンドン大きくなっていきます。
一般的な家庭や社会との接触が限られた環境にいる、専門家の言語についてはどんどん国語から遠ざかっていくことになります。
子どもを産むための適齢期があります。
その時期は言語的にも、国語の習得を終えた後で生活語がそれほど染み込んでいない時期となっていると思われます。
母親の言語が子どもに伝わってその子の母語となっていくことを考えると、出産し子育てをしているときの母親の言語環境はとても大切なものと言えます。
それ以前に、子供を出産するまでに習得してきた母親の言語が大切となると思われます。
言語の伝承については、完全なる母系の系譜となります。
日本語の最大公約数としての役割を持っているものが、国語となります。
つまり、国語を用いて表現されたものは、日本語話者であれば誰でも同じ解釈ができるものとなります。
正確さが必要となる内容については、できるだけ国語を用いて表現することが最適な表現となります。
ところが、一般的に個人の中においては国語と生活語、更には母語を含めた区別ができていません。
日常的によく使う言葉は、よほど意識して表現をしない限り簡単に口から出てきてしまいます。
意識しないで出てくる言葉には、生活語も国語も母語も入り混ざったものとなっています。
更には、同じ言葉であっても、母語、国語、生活語においてはそれぞれ解釈において微妙な違いを持ったものがたくさん存在しています。
日本語は、とんでもなく豊かな表現力を持った言語ですが、一面では正確さを欠く言語とも言われています。
ところが、日本語に翻訳された本によっては、原著者が思っていた以上の正確さや的確さで表現されたものが沢山あるのも事実です。
日本語の最大公約数としての共通語である国語について、しっかりと使いこなせることが大切ですね。
日本語の持つ感覚としては、母語として基本感覚が身についていることになります。
国語だけでは表現しきれないことがあることも間違いないことだと思います。
しかし、それを国語で言いかえることができるのも日本語の素晴らしさではないでしょうか。
思わず使ってしまうことが多い生活語は、他者には解釈がしにくいものとなっています。
思わず使ってしまった時に、国語による表現で補うことをしてみたいものです。
うまく国語で表現できない場合は、その言葉自体に対しての自分の解釈がしっかりできていないことがほとんどです。
あらためて、言葉を確認する機会にもなりますね。
国語をしっかり使ってみませんか。
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