変化のタイミングがどんどん早くなってきていることは、同じ時間であっても人間のできることが増えていることが基本にあると思われます。
江戸時代までの日本語の流れを大きく変えたのが明治維新であることは、異論のないところではないでしょうか。
この時には、初代の文部大臣である森有礼らによる、英語を日本の国語にしようとする計画すらありました。
文明開化、富国強兵など、開国とともに列強の植民地化への道を閉ざすためには、急いで対応できる国力をつけなければなりませんでした。
夏目漱石あたりからは、そんなに急いで安普請で文化を作ってどうするのだという批判もあったと言われています。
そんな漱石も、言文一致体をはじめとする明治期の文学によって、大いに新しい日本語の普及に貢献したことになります。
この時期に造られた新しい漢字や、新しい意味を与えられた言葉は20万語以上だと言われています。
広辞苑一冊に収録されている言葉が、24万語と言われていますので、一つの言語に値するほどの言葉を生み出したことになります。
そのほとんどは、ヨーロッパ先端文明の翻訳語であり、文学という言葉そのものもこの時に造り出された言葉です。
(参照:和製漢語の創出、和製漢字のチカラ など )
やがて、模倣によって国力を付けた日本は、世界の最後の帝国として世界大戦の役者となっていくことになります。
明治維新によって、すべてのことが変わっていきました。
国語としての日本語すら変わろうとしていたのです。
結果として、日本語を保持できたのは、英語教育のために招へいした外国人たちの提案による日本の独自文化の存続という選択をしたからなのです。
そのおかけで、新しい言葉はたくさん作られましたが、その元となっている文字や言葉は1500年以上も前から継承されて日本語が残ったのです。
言語は精神文化の具現化されたものです。
まさしく、和魂洋才が現実のものとして現れていくことになります。
どんなに翻訳語を生み出して日常的に使っても、その元となっている言語が変わっているわけではありません。
元となる言語があって、その言語によって新しい言葉や使い方が生み出されているだけのことです。
1500年以上前の、文字のなかった時代の言葉(言語)が現代にまで継承されてきているのです。
言語そのものが持っている感覚は、長い歴史をかけて継承されてきており、しかも感覚として意識されることはほとんどありませんので、自然な形で残っていきます。
自分自身が持っている現代日本語のベースにあるものは、言語としての日本語が持っている特徴がそのまま存在し続けていることになります。
新しい文化や技術を一気に導入した明治維新期は、近代文化の幕開けであると同時に、今までの文化の否定にもなります。
古い歴史的なものが否定され、どんどん新しい技術的なものに変わっていたことは容易に想像ができることではないでしょうか。
いかに新しい波に乗っていくかの競争が行なわれていたことは、やみくもに過去の否定につながることでもあったと思われます。
そこでは、それまでの日本語では表現できなかったような、新しい思想や論理もたくさん入ってきました。
恐らくは、検証しながら日本の感覚に置き換えて取り組もうとしても、そんな余裕がなかったのではないかと思われます。
分からないものを分からないままに、そのまま受け入れることで対応しなければならないものがたくさんあったのではないでしょうか。
日本人が本来的に持っている、環境との共生を目指して自己を変えていく感覚は、環境の変化を無条件を受け入れることにもつながっています。
日本語というプラットホームの上に築かれたヨーロッパの先進文明の取り込みは、やがて日本独自の文化として融合していくことになります。
その根底にあるのは、1500年以上の時間をかけて継承されてきた精神文化であり、それが具現化された日本語であることは間違いがないことでしょう。
文化や技術を表現し継承していくものが言語だからです。
そして、継承された文化や語術が表現されたものが言語だからです。
明治維新は、ヨーロッパの先進文化のあらゆるものを取り込んで日本語化してきました。
日本語はとてつもなく巨大な言語になりました。
何にでも対応できる言語になったのではないでしょうか。
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