2014年12月7日日曜日

日本語と自然との関係

自然に対する感覚が日本語と外国語では異なることは、何度か触れてきました。

比較としてみた時に、日本語が自然との共生を基本と考えていることに対して、欧米言語は自然を人のための道具としコントロールする対象としていることがわかります。

自然の一段上に人を位置することで、生物として唯一の知をもって、技術や論理をつくりあげて自然をコントロールすることができるとしてきた欧米の感覚が限界にきました。


知によって作り上げた技術や論理は、人がより便利に楽に生活できる方向へと向かうことにおいて大変な貢献をしてきました。

そこでは、自然によって作られてきたものを材料として使うことにによって築き上げられたものが数知れずあります。

また、自然を研究観察することによって導き出されたものもたくさんあります。

欧米の人間至上主義のための技術は、自然から学び自然を材料として切り崩しながら発展してきたものと言うことができます。


本能よりも技術を、情よりも論理を、共生よりも個の独立を目指してすべてのことが動いてきました。

やがて、自然の有限さに気がつきます。

地球の有限さに気がつきます。

それは、人の有限さに気がついた、はるか後になります。

人の有限さを見つけたことによって、個の有限さに気がついたのです。


それでも欧米の感覚としては、個の幸福のために生きていくことになります。

そのためには、あらゆる手段が採られていきます。

欧米の言語は、知を生かすために生まれたものであるということができます。


それに対して日本語は、自然の中での共生の文化であり、そこにあるのは情でせす。

本能として自然のなかでの共生を意識しており、自然の中で生かされている人間、自然の中で共生していかなければ生きていけない人間を感覚として持っています。

様々な条件がそろった結果だと思います。


地理的には、日本列島が外部からの侵略をほとんど受けたことがないために、生きていくための最大のテーマが変化の大きな自然の中でどのように生活してくかであったことが大きいと思われます。

四季の変化があり激しい気候の変動があるために、季節ごとに生きていくための工夫が必要でした。

新大陸に属する日本列島は、旧大陸である安定した大きな大陸に比べて、形成された自然の歴史が新しく、まだ活発に変化をしている途中段階にあります。

火山活動や、気候による地形の浸食などすべての自然の変化が、旧大陸に比べるとはるかに変化が大きく頻繁に起きているエリアです。


ヨーロッパやアフリカ、ユーラシアなどの旧大陸では長い年月の経過によって、地形自体が安定しており、よほどの気候変動がない限り大きな変化はないエリアとなっています。

そこでの自然の対峙の仕方と、日本における不安定な自然との対峙の仕方は、おのずと自然に対しての異なった感覚を持った歴史を刻んできたのです。


日本において、欧米型の論理と技術が導入された契機は明治維新であると言えるでしょう。

それまでも部分的な交易等は行われていましたが、国を挙げての政策として西洋文化を取り入れたのは明治維新であると言えます。

言語上も、明治維新によって大きな変化が出てきます。


特に西洋を中心にした文化や技術の導入を急ぐには訳がありました。

開国をしたのはいいが、列強に対抗する文化も軍事力もない状態では、植民地としての草刈り場となってしまうところです。

そのために、富国強兵・文明開化が突貫作業で行われたのです。


そこで新たに作られた日本語(ほとんどが和製漢語と言われるもの)は、広辞苑一冊分にも相当する20万語以上であると言われています。

現在私たちが使っている言葉のほとんどが、この時に造られたものとなっています。

この時点では、日本語の原点である漢字の母国である中国は、内紛のために文化の発展に大きな後れを取っていました。

結果として、同じ漢字で西洋文明を取り込んだ和製漢語によって、日本を経由して西洋文明を取り込んでいくことになるのです。


この時点で、日本はアジアでは最先端の文明国となっているのです。

この時に、言語としての西洋言語をそのまま取り込んでいたとしたら、まさしく西洋文明の感覚そのものになっていたと思われます。

「古代やまとことば」から継承された言語をひらがなとして完全分離して残してきたのです。

そこにこそ、日本が本来持っている自然との関係が凝縮されているのです。


漢字は、訓読みとして「やまとことば」を書き表す文字としても利用されました。

音としては「やまとことば」ですが、文字で書いた時に漢字を使用するとことによって、西洋文明との向き合いができるようになっていったのです。

日本語をを基本として、西洋文化に言語を参考にしながら、新しい日本語を増やしていったと考えるのが一番適した見方だと思います。


結果として、明治以降は新しい日本語になったのです。

そんでもなく大きな言語です。

自然との対峙の仕方を異にした感覚を併存した言語となっていったのです。

自然との共生の感覚を元とした情を伝えあうための言語でありながらも、全く反対の感覚をも理解できる言語となっていったのです。

こんな大きな言語はほかには存在しません。


元の感覚は、自然の中で生かされている人間が、情を伝えるためのものでした。

そこに西洋言語の、人間至上主義による感覚が理解できるものを持ってしまったのです。

言語としての矛盾はありませんが、感覚としての矛盾が存在する要素ができてしまったのです。


欧米感覚を理解することは出来るのですが、その感覚そのものに対しては情としての違和感を感じてしまうことが起こるのです。

説明文化である欧米言語による表現は、どんな価値であろうとも日本語に翻訳ができます。

しまも、そのニュアンスを持って翻訳することが可能なのです。

理解するうえではとても丁寧にできていますので、日本人にとってもわかり易いものとなります。


論理は理解できますが、感覚として最後のどこかに矛盾を持っているのです。

日本語そのものは、場の言語であり共有の言語ですので、細かな説明が必要ありません。

論理ではなく感情や感性で理解し合うのが日本語の本質です。


しかし、それだけでは日本語の中に持っている西洋言語の感覚が違和感を感じてしまうことになります。

形式的な言語としての文字や音については、日本語そのものなのですが、その文化的な背景や感覚においては西洋言語であるものが一気にたくさんできているのです。

技術発展や、経済競争の中では日本語でも明治以降の日本語が役にたってきました。

その限界が見えてきている現在では、日本語が本来持っている感覚こそ必要な時期になっているのではないでしょうか。

大きな日本語は、日本語話者である自分自身でもそのすべてを使ってるわけではありません。

ましてや母語として継承されている日本語においても、かなり個人的な言語となっていると思われます。

最近の継承されている日本語が、どんなものになっているのか気になるところではあります。


日本語同士でも感覚の異なる場面が、多くなっているように思います。

共通語としての国語の大切さ、さらに共通語としての「現代やまとことば」を理解しておくことが必要なのでしょう。

ますます日本語の出番は増えてくるはずです。

しっかりと磨いておきましょう。