年末年始のこの時期は、ブログのページビューが極端に落ちる時期でもあり、読み手を意識しない内容であってもいいかなと思い、今年も振り返りをしてみることにしてみました。
去年の振り返りがきっかけとなって、1月6日からの「気づかなかった日本語の特徴」という、このブログの核の一つが出来上がっていきました。
(参照:気づかなかった日本語の特徴)
このタイトルのページは、このブログにおいては一番リンクが多い先だと思います。
何をやってきたのかということは、過去のことでありますが、そのページに検索でたどり着いて初めて目にする人もいます。
そのページで述べたことが、のちに修正されていることもよくあることです。
過去のブログへのリンクだけではなく、意見が変わったりよりわかり易く書けた場合には、先のブログに対してもリンクを張る必要があることに気がつきました。
当たり前と言えばそうなのですが、常に新しいブログを更新していると、過去のブログに対しての意識が薄くなってしまいます。
せっかくの資料ですので大切にしたいと思って、なるべく過去の関連ブログに対してリンクを貼るようにしていますが、リンクを貼った先に相互にリンクを張ればいいことに気がつきませんでした。
文中でリンクする場合もあるし、最後に関連ブログとしてタイトルでリンクを貼っておくだけでもいいのです。
なるべく一回の投稿で読みきりになっていた方がわかり易いことを学んだのも、2014年でした。
反対に言いたいことが沢山ある場合でも、なるべく一回の投稿では一つのテーマに絞ったほうがいいことも学びました。
これらは、単純に自分であとで見返してみて分かりにくかったことから分かったことです。
さて、今年の振り返りの最初は、言語と知的活動です。
知的活動のためのツールが言語であることに気がついてからは、一気に発想が広がっていったことを思い出します。
5月30日から7回にわたって、「知的活動と言語について」と題して書き続けたことは、その時の思いをよく物語っています。
(参照:知的活動と言語について)
言語の三要素である、母語、国語、生活語がそれぞれ、知的活動の三要素の発展のための大切なツールであることが見えてきました。
そのことによって、言語の方から知的活動を刺激することが可能ではないかと考えることができました。
知的活動の質を上げるためには、使用する言語の質を上げることに他ならないことがわかりました。
言語の限界が、その人にとっての知的活動の限界となっているのです。
母語を自然な形で使って思考することが、一番質の高い思考ができることもわかってきました。
このことをきっかけにして、質の高い知的活動のためにどのようの言語を使ったらいいのかを考えるようになってきたのです。
これも日本語についてだけ考えていたのでは、いつまでたってもよく分かりませんでした。
どうやら、具体的な言葉よりもその言語がもともと持っている感覚的なものに関係がありそうだと思うようになっていたころです。
「知的活動と言語について」を書いて以降は、どの様に言語使っていったら、より質の高い知的活動につながるのかが大きなテーとなっていきました。
言語によって知的活動に刺激を与えることで、より知的活動を活発にすることは、とても理にかなっているのではないかと考えていたと思います。
知的活動が開発されていく過程においても、また知的活動に刺激を与えることにしても、母語がいかに大きな存在であるかを改めて感じることになりました。
日本語を母語として持っているということが、「気づかなかった日本語の特徴」ではカバーしきれないほどの言語としての本質的な特徴に迫っていくきっかてとなっていきました。
2014年の大きな収穫は、この「知的活動と言語について」を書けたことによって、それまでの探求的内容から、言語を使用する実践的な内容に近づけていくことができるようになったことです。
ここから思考法の案内や、交渉術的なことまでも展開していくことができました。
また、実践セミナーで交渉力についての検証を行うこともできました。
このことを通じて、あらためて母語の大切さを確認できたことは、母語を説明するうえで新しいアプローチを持ったことにもなります。
母語については、ほとんど意識することなく使っていますので、なかなか考えるきっかけがありません。
当たり前に存在しているので、その大切さになかなか気がつくこともありません。
いろいろな切り口を持って、説明できるようにしておかないといけないと、あらためて考えさせられました。
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