2014年12月20日土曜日

日本語を自然に使った思考とは

母語として日本語を持っていることによって、自然に現れる思考の傾向があります。

これは、日本語に限ったことではありません。

母語として持っている言語によって、その言語がもともと持っている感覚が知的活動にも反映されるからです。


質の高い知的活動を行なう場合は、たとえバイリンガルや多言語を使用できる人であったとしても、母語に頼らざるを得ません。

母語以外の言語は、すべて母語によって理解しているわけですから、母語による知的活動が一番質の高い知的活動となります。

また、母語を使いこなすために脳を初めとするすべての知的器官が発達してきていますので、すべての知的器官において母語が一番適切なツールとなっています。


したがって、母語が持っている言語としての特徴や感覚は、知的活動においても大きな影響を与えています。

母語がもともと持っている感覚をうまく利用することによって、より自然に無理のない質の高い知的活動が可能となるのです。

また、より深い思考においては、母語の持っている感覚が選択の場面や思考の傾向に大きな影響を与えます。


母語の持っている特徴や感覚を知ることによって、その母語を使っている人たちの思考の傾向までもがわかることになります。

時としては、母語の持っている特徴や感覚とは異なる判断や思考をしなければならないこともあります。

しかし、母語からくる思考の特徴や傾向を知っておけば、敢えてそれと異なる判断や思考をしなければならないときにも、対処することができるのです。

そこで感じる違和感や不自然さに対して、準備することができるのです。


母語は、主に母親から伝承されたきわめて個人的な言語です。

母親の言語も母語を基盤として、学習言語である国語や環境言語である生活語によって作られてきたものです。

同じ日本語という範疇の言語であっても、一人ひとり異なった言語となっています。


一人ひとりの持っている母語のなかで、日本語としての共通の感覚を持っている部分は、伝承されてきた母語のなかで変わらずに伝えられてきた感覚的なものと、学習言語として共通語的な位置にある国語の大部分になります。

一人ひとりの個人的な言語特性については、母語としての伝承の中での母親の持っていたものと、環境言語として自分で身につけてきた生活語の部分になります。

一人ひとりが持っている言語が異なることが、知的活動としての多様性につながっています。


その中でも伝承されてきた日本語と共通語としての国語の持つ特徴は、母語として日本語を持つ人が共通して持つ感覚となっているはずです。

この部分の特徴を見ていくことによって、日本語を母語としている場合の思考の特徴や傾向を表すことが可能になります。

一人ひとりの言語が異なっていますが、一番基盤となっている部分においてはその傾向を見て取ることができます。

思考の癖とも傾向とも呼ぶことができるかもしれませんし、自然な無理のない思考につながるものとも呼ぶことができるかもしれません。


まずは、他の言語(特に英語)と比べた時に見えてきた日本語の特徴について、ランダムにキーワードを挙げてみることにしました。

一つひとつについて切り口はありますが、それを掘り下げていくことよりも、感覚として理解してもらった方がわかり易いのではないかと思ったからです。


自然との共生、環境言語、関係性の言語、主体のない言語、相対としての自分、自然バランス、曖昧、遠慮、目的よりも手段、省略と短縮、生かされている、適応性、改革よりも改善、迷惑をかけない、日々向上、ベストよりも配慮、理想よりも現実、直線よりも迂回、ハイブリッド、ボトムアップ、主張よりも協調、神との共生、ことだま、ことあげ、インプット、自己研鑽、論理よりも感情、問題解決型、

いろいろな切り口からキーワードを見つけていくことによって、日本語の持っているものが少しずつ見えてきませんか?

実は、これ自体が日本語の自然な流れなのです。

日本語は分類が苦手なのです。

分類して、ラベルをつけて、そこから要素を絞り出すことが苦手なのです。

足りなくてもいい、すべてでなくてもいい、目の前にある物の一つひとつが、周りとどうかかわっているのかを見つけるのが得意なのです。


大上段に目的を掲げて、そこへの最短距離を走るのが得意なのは欧米型言語です。

常にベストを選択して、いち早く効率的に目的を達しようとするものです。

何かに向かって突っ走る、直線的な考え方になります。

そのためには、明確な目的が必要になります。

時として目的達成のためには、大きな犠牲をもいとわないことになります。

欲しい未来に向かって、最短距離を走る考え方です。


日本語は、明確な目的がなくても大丈夫なのです。

今の環境に対応するために常に変化をしているからです。

そこでの視点は、効率化ではなく周囲・環境との適応です。

結果としてそれが効率につながることになります。

今を生きながら、周りに適応していく考え方です。


何かを表現するときには、通常であれば目的を一番最初に提示します。

その方が、何について表現しているのかが明確になるからです。

表現活動においては、相手に分かってもらうことが主体となりますので、目的が最初に来ることになります。


ところが日本語思考においては、目的は最初にない方がいいのです。

最後に目的があったほうが日本語思考においては自然な流れになるのです。

問題解決型が得意なのです。

常に周囲に適合しようという感覚が働いていますので、あらゆることに問題を含んでいます。

周囲は変化し続けていますので、問題はいつまでもどこでも存在していることになります。

問題解決の積み重ねが、その時々の目的につながっていくのが自然な流れなのです。


最初に目的を置いてしまうと、どこかで無理を感じてしまうのはみんなが経験していることではないでしょうか。

どうしても、目的よりも手段の方に思考が行ってしまうのは、きわめて自然なことなのです。

また、いつの間にか手段が目的にとって代わってしまうことは自然な流れなのです。


これらを生かした、思考・発想はいろいろな日本らしいものを生み出してきました。

次回は、そんなことについて触れてみたいと思います。





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