どうやら世界の言語の中でも日本語が最も知的活動のツールとして質が高いと思われることもわかってきました。
(参照:思考するための最高の言語:日本語)
日常活動で日本語ばかりを使っていると、日本語の特徴や素晴らしさには気がつきにくいものです。
また、脳はどうしても「快」をより強く感じられる方を選択しようとしますので、「楽をする」と「快」の結びつきが強い場合には、新しいことへの挑戦がほとんど行われなくなります。
結果として進歩がなくなることになります。
好奇心が「快」の原動力になっている場合には、進化が止まることはありません。
あらゆることに疑問を持つことは、好奇心を刺激するのにとても良い方法です。
日本語の能力は、今私たちが具体的に使っている言語である日本語だけではありません。
その日本語が継承されてきた言語以外の部分も大きなものがあると思われます。
(参照:日本語の向こうにあるモノ)
近代文明の最先端を担いでいる言語で、文字のない時代の言語を継承しているものは、ほとんどないと言ってもよいでしょう。
その一つが日本語です。
日常的に日本語の特徴を生かすことができるゲームを紹介しましょう。
日本語のチカラは、文字として表す時に一番発揮されます。
書くという動作による刺激と、表意文字である漢字から受ける刺激、そして言葉の配置から受ける刺激などが混ざり合って、様々なアウトプットに結び付くのです。
日本人の力が一番発揮される分野として取り上げられるのが、ハイブリッド発想です。
鉛筆に消しゴムを合体したもの、シャープペンとボールペンを合体したもの、カセットとラジオを合体したもの、プリンタとコピーを合体したもの、など数え上げたらきりがありません。
このハイブリッド発想は、西洋の人にはとても苦手なものです。
常に新しい大きな目的があって、そこに対しての最速最適な手段を組み合わせることを得意としているのが西洋発想です。
したがって、目的のために最適な手段があれば非合法であろうとも選択することがあるのです。
ハイブリッドの発想は、現実の改善がベースとなっています。
合体物を作ろうなどという目的はないのです。
合わさったら便利だな、という現実的な改善から出てくるものなのです。
西洋発想は、現実的な改善がとても苦手です。
大きく掲げた目的に対して、成し遂げることが最大の名誉であり自信になります。
そのためには、隠れて非合法な手段を取ることも行われます。
いったん落ち着いてしまっている現実についての改善には、興味がないのです。
日本語発想では、大きな目標を掲げてそこに対しての最適な手段を構築していくのが苦手にできています。
これは、言語の持つ特徴でもあり、その言語を継承してきた日本人の特徴そのものでもあるのです。
その代り、日々の暮らしの中での改善が常に行われており、そのことに対しての意識すらないことが多くあります。
これらのものが組み合わさった時に、新しいものとして感じられるものとなります。
ハイブリッド商品の多くは海外での評価が先にあり、そこから日本に来るものがほとんどです。
なぜなら、日本ではハイブリッドは当たり前であり日常であるからです。
さてハイブリッドを刺激するゲームの紹介です。
まずはどんなテーマでもいいので、一つのテーマを決めて思いつく単語を書き出していきます。
10分間、休むことなく書きつづけられる人はいないと思います。
ほとんどの場合は、5分もたたずにネタが尽きてきます。
それでも20分間は、ひたすら単語を書き出すのです。
いろんなことを試みないと出てきません。
同じ環境で行っているとパターン化してしまうことがありますので、移動しながらもいい方法です。
ひとつ新しいものが出てくれば、それの具体化あるいは抽象化によっていくつか出てきます。
一番よく引き出されるのは、同じカテゴリーの単語を書き出すことです。
慣れがありますので、人によって結果はかなり違ってくると思います。
なるべく考えないで、思いつく単語をダブりあり意味なしでもいいのでひたすら書き出してみます。
20分経ったら休憩を取ります。
お茶を飲むのもいいですし、一服するのもかまいません。
次は、全く番うテーマに対して同じことをやってみます。
実は、これはかなり苦痛を伴う作業なのです。
それだけに効果は抜群なのです。
次の段階は、二つのテーマでひねり出した単語から、それぞれ無作為に一つずつ選んできます。
そして、その二つの単語を使って、無理やり合体させて具体的にイメージできるものを作り上げるのです。
抜き出した単語を二つ書き出しておきます。
そこから何が生まれていくのかを考えていくのです。
「無理やり、ハイブリッド」ゲームと名付けています。
ハイブリッドは基本的には、二つのもの合体ですが、出来上がったハイブリッドを含めれば、三つの要素があることになります。
日本人の大好きな「三の魔術」につながるものがありそうです。
このゲームは、ほかの感覚を養うことの役にも立つことがわかっています。
客観視する能力が磨かれるようです。
最初の二つの要素をじっくりとあらゆる方向から見ていかないと、合体のヒントが出てこないからです。
初めの頃にひねり出した単語同士と、後半に無理やりひねり出した単語同士では、かなり組み合わせの感覚が違ってきます。
後半でひねり出した単語同士の方が、思わぬものが見つかることが多くあります。
そして、ハイブリッドになったほうからそれぞれの要素を見た時には、きわめてわかり易い当たり前のつながりになっていることがあらためて発見されます。
日本語の特徴を生かした発想法は、ほとんどが書き出すことから始まります。
一人ひとりが限界を超えて絞り出してきたところからしか、本当の発想はスタートしないのですね。
いきなり集まって、ブレストや意見の出しあいをすることは、せっかくの個人の持っている日本語のチカラを封じ込めていまうことになります。
一人ひとりが言葉としてひねり出すことが日本語を生かすことにつながるんですね。
それだけ日本語は大きな言語であるということなのでしょうね。
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