2014年11月7日金曜日

母系血統という考え

一般に言われる血統は、男性の血統に対して配偶者としての女性が加えられたものとなっています。

したがって、長い血統図があったとしても、男性血統は遡ることが可能になっていますが、女性血統は遡ることが難しくなっています。

女性血統を遡る場合にしても、母親から先は男性血統を遡ることになります。


言語の中の一番基礎となる言語であり、伝承言語と言われる母語を見ていくと、その根幹となる大部分は母親からの伝承となっています。

言語の歴史をたどる場合には、よほどの強制力が働かない限り、母性の血統が言語にかぶってくるのではないかと思われます。

幼児期の子どもは、半本能的に母親から生きていくための術を学んでいきます。

母親とのコミュニケーションが生きていくための最初のツールになります。


血統についてもよく考えてみれば、男性血統は名と財産の継承のためのものであり、女性はその継承者を産むためのものでしかありませんでした。

子どもと母親のつながりは、父親よりもはるかに強いものがります。

特に幼児期の環境においては、そのほとんどの時間を母親と共有しながら基本的な生きていくための技を習得していきます。

放っておいたら、子どもは生き方そのものを母親から学ぶことになり、名と財産を継承するための生き方からかけ離れてしまうことになります。


そのために、名と財産を継承するための生き方を経験したことのある乳母や父親の母(姑)が子育ての役を担ってきたわけです。

継承すべき名や財産が存在する環境にある、皇室や財閥においては今でも実態として継続されている幼児教育の内容です。

乳母を設けるまでのことはなくとも、姑による嫡男に対する教育については名と財産の継承のもとに強大な影響力があります。

結婚に対して、家に嫁ぐという感覚は今でも残っているものであり、その理由は継承されていなくとも、しきたりや儀式として継続されているものも多くあります。


母親の与える影響の大きさは、どんな時代においても理解されていたと思われます。

母親が幼児期の子どもに与える影響は、生きていくための基本と子どもを守ることが大前提になります。

そこには、家としての名と財産を継承するためには都合の悪いこともあることになります。

母親は自分自身が、名と財産を継承するための生き方をしてきていませんしそんな教育も受けてきていません。

更には、そのための子どもを育てた経験もないのです。


男の子は、嫡男として生まれたものは名と財産を継ぐ者としての教育を、それ以外の男の子は嫡男を補佐する部下としての生き方の教育を受けてきました。

そのためには、その生き方を知らない母親による幼児教教育ではなしえなかったのです。

結果としては、その子供の能力によって、一族の生命さえもが左右されることになっていたから大変な仕事であったと思われます。


母親が母親本来の子どもの育て方ができるようになったのは、本当に近年になってからではないでしょうか。

いくばくかの名と財産を継承したとしても、基本的には自分で社会を生き抜いていかないとならなくなりました。

そのために必要最低限の力をつけるための義務教育も存在し、生きていく方法も様々なものが考えられるようになりました。


名と財産を継承するためのとはいえ、乳母や姑による幼児教育は一種の英才教育としてそれなりの効果をもたらしてきました。

主君としての能力は身についていたけれど、人間味があるのは二男三男の方であることはこの種の組織ではついて回ることです。

物語としては、二男三男を取り上げたほうがはるかに面白くなるのは、こんなところにも原因があるのではないでしょうか。


形式的なものだけが残っていることはありますが、母親だけで幼児期の子育てにあたることはとても大変なことです。

乳母や姑の助力が得られなくなってきている現在では、母親の負担はますます増えています。

しかも、母語を代表として幼児期における環境が一生の基盤を作ってしまうことがわかってきています。


結婚したとはいえ、他人である旦那の親の面倒見ることは自分の親の面倒見ることに比べると、精神的な負担は比較にならないほど大きなものになります。

例え夫婦であっても、それぞれの親の面倒はそれぞれが見ることが基本になってきており、他方はたまに助力する程度が理想形となっています。

子どもは圧倒的に母親の影響下に置かれており、父親がその存在を必要とされる場面は、物心がついてからとなっています。


人としての基本形は母親によって作られていくことになります。

その目的は、社会を生き抜いていく力を身につけることになります。

子どもは、半本能的に持っている力によって母親の影響を受けながら、生きていくための能力を身につけていきます。

父親の存在と役割を意識できるのは、物心がついてからです。


守るべき名も財産もほとんど役に立たなくなった現在では、人の系統としては母親の方の影響がはるかに強いのではないでしょうか。

母系血統を中心に、人としての特徴を見ていった方がわかり易いように思います。


言語は、すべての知的活動のための道具であり、持っている言語以上の知的活動は不可能です。

その言語の基本である母語は、母親からの伝承言語です。

生きていくための基本機能は母親から伝承されてきているのです。

そしてその母親自身は、自分の母親によって伝承されてきた母語を基本に出来上がっているのです。


継承されるべき日本語が今までの日本語から離れてきています。

義務教育で教えている日本語自体が、日常語ではなく古語化しています。

ある意味では仕方のないことですが、日本人や日本としての特徴は日本語を使用することによって特徴化しているものです。

日本語の変化は、その変化の方向は国際共通語である英語化であると言ってもいいでしょう。


母親から母語として継承された日本語は、義務教育の学習言語としての国語や社会における環境言語としての生活語を伴って、個人の日本語として子どもに継承されていきます。

その間にさまざまな言語的な影響を受けることによって、子どもに母語として伝承される日本語が変化していきます。

私たちが母語として持っている日本語と、今の子供たちが母語として持っている日本語は、一人ずつが異なるのは勿論の事ですが総体としてもかなり違ったものとなっています。

少なくとも三世代の間での同じ日本語でのコミュニケーションに、大きなギャップができていしまわない程度の範囲で収まっていてほしいと思います。


文化伝統の継承においては、最低でも三世代間でのあらゆることの共有が前提となります。

言葉のない時代からの精神文化を、ほとんど侵略されることなく継承している日本において、言語の継承はその大前提となるものです。

一旦途切れた文化の継承は、二度と同じ形で復活はできません。

常に三世代がどこの場でも会話をしているという環境が、当たり前になって欲しいと思っています。


母語として日本語は極めて個人的なものです。

国語や生活語との境界も決して明確なものではありませんが、三世代の日本語の交流によって、子どもに継承する日本語は日本語の特徴を保ったものとなるはずです。

子どもを持つ前の女性にこそ、世代を超えた日本語の交流の場を持ってもらいたいと思います。

親世代と、祖父母世代と、あらゆる場面での交流の機会を持ちたいですね。

男性が援助すべき場面はここではないでしょうか。






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