知的活動のためのたった一つの言語を決めてしまう幼児期に、子どもにどの言語を撰びますか?
もちろん誰しもが、子どもに英語を使いこなせるようになって欲しいと願っていると思います。
そのために幼児期から英語に触れる機会を作っていることは、頻繁に行われていることです。
矛盾するようですが、このことが子どもが生涯の言語として日本語を母語として身につけることを妨げているのです。
母語は、一種類の言語しか身につきません。
母語習得の期間である、4歳までの間に多言語に頻繁に触れることになると、まともな一つの言語としての母語が身につかずに生涯苦しむことになります。
日本語を話す過程において英語の教室などに通わせることになると、英語と日本語のチャンポンの言語を一つの言語として身につけてしまいます。
これをピジン語と言ったりしますが、これは英語でも日本語であもありません、世の中に言語としては存在しないものなのです。
こんな言語を母語として身につけてしまったら大変なことになります。
もちろん、バイリンガルになどなるわけがありませんし、日本語も英語もどちらの感覚もわからなくなり、英語の世界でも日本語の世界でも生きていくのにとんでもない苦労をすることになるのです。
小学校の2年生くらいまで海外で生活し、現地のインターナショナルスクールに通い、自宅でも学校や家庭でも英語を使っていた場合には、母語はきちんと英語として身についています。
小学校の3年生から日本の小学校で日本語を身につけて、日常語が日本語になったとしても、母語はきちんとした英語です。
知的活動や言語感覚はすべてが英語によって行われていくことになります。
日本語は、世界で日本語同士でしか理解できない(通用しない)言語です。
いまや、世界の共通語は英語であると言えます。
母語として英語を身につけるためには、母語の習得期間である幼児期に英語オンリーの生活環境が求められます。
特に家庭環境において使用する言語は一番大切です。
家庭で日本語を使っているのに、幼児期に英語を徹底的に教えてしまうと、悲劇が起こります。
親の言語感覚と子どもの言語感覚が異なっていきますので、親子での言語によるコミュニケーションがうまくいかなくなるのです。
特に大切なことやじっくり考えなければならないことで、どんどん感覚に違いが出てくることになります。
同じ日本語を使っても、感覚が異なりますので、理解する内容が違ってきます。
親も子もその感覚の違いを意識したり理解したりできませんので、いくら話したところで無理なのです。
理由がわからずに理解できない環境ができてしまうのです。
幼児期の母親と子供の会話が少ないと、同じようなことが起こることがわかっています。
母親の持っている言語と子供の持っている言語が異なってしまうと、当然のように言語に対する感覚が異なってくるのです。
母語が、母親を中心とした家族からの伝承言語であると言われるのはこのためです。
母語の大切さについてはいろいろな見方から述べてきていますので参考にしてください。
(参照:母語の習得と幼児教育、母語の習得と母親の役割 など)
世界の言語のなかで日本語が際立って特徴的な言語であることは、機会がるたびに触れてきました。
(参照:気づかなかった日本語の特徴)
言語は文化の具現化されたものであり、日本人としての特徴は日本語の特徴によって形成されているところでもあります。
世界に日本人としての特徴を訴える時には、日本語を抜きにして考えることは出来ません。
国としての境界が意味を失いつつある現在では、日本国籍を持つ日本人としてのアイデンティティよりも、日本語話者であることのアイデンティティの方がよほどわかりやすいものとなっているのではないでしょうか。
嫌でも世界と触れる機会は増えてきます。
その中での自分の存在を確認するためには、日本語話者であることが大きな意味を持ってくると思われます。
日本語で生きる覚悟ですね。
そのためには、母語としての日本語の継承をきちんとしていく必要があるのです。
日本語で生きる覚悟とは、自分自身が日本語話者として生きていきながら世界と交わっていくこととともに、母語としての日本語を継承していく覚悟をすることを意味しています。
文化先進国の言語としては、最も話者人口が少ないのが日本語であり、最も際立った特徴を持って存在しているのが日本語です。
母語としての日本語をしっかり持って、文化伝統を継承しながら、国際共通語としての英語を使いこなせることが理想となるのだと思います。
しっかりと継承していくことができなくなると、あっという間に言語としての日本語は消滅の方向に向かうでしょう。
日本語と英語、どちらが先でしょうか?
間違いなく、母語としての日本語が先です。
日本語が最低限度で身につくのが小学生のころだと考えられます。
しっかりと表現できる日本語が身についてから、英語を学び始めることが、母語に対する影響が無くなったころだと言えるのではないでしょうか。
英語を初めとする、世界の他の言語に比べると、日本語は身につけるのに膨大な期間を必要とします。
(参照:外国の言語教育)
そのためにも、他の言語を身につけるのは、しっかりとした日本語が身についてからの方が、母語である日本語への影響が少なくて済むのです。
他の言語を学ぶことも、母語としての日本語によって行うことになります。
それができるようになって、初めて他の言語を学ぶことができるようになるのです。
いまや、一週間に一時間とはいえ、学校教育と言う強制された時間の中で、英語に触れる時間が小学校の五年生から行われており、さらに三年生からに変更されてきています。
ますます、幼児期にしっかりとした母語としての日本語が身についていないと、持っている日本語そのものがおかしくなる可能性が高くなってきているのです。
しかも、まじめに取り組む子供ほどその可能性が高いということができます。
世界で生きていくためには、しっかりした自覚できる日本人であることが前提であるのと同じように、世界の言語の前ではしっかりとした日本語を母語として持って使いこなしていることが必要です。
子どもたちに日本語を継承していくことの大切さを、改めて考えておきたいですね。
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