2014年11月26日水曜日

属と族

日本語の特徴を見ていくと、世界の他の言語との違いがとても大きいことに気がつきます。

これは、日本語の環境の中だけに居ては気がつかないことです。

そして、言語はその言語を使ってきた民族の精神文化を表現するために一番適した形で変化してきており、言語そのものの特徴がその言語を使う民族の特徴を現わしているものと言えます。


その民族の置かれてきた歴史的な環境や、気候風土のとの関係や、民族を守り抜いてきた歴史などがすべて反映されたものと言うことができるのではないでしょうか。

したがって、言語を比較することによって、その言語を使用している民族そのものの発想や感覚の根源にあるものを知ることができると思われます。

生き方についてや宗教についての感覚は、言語によって時々の環境の変化に対応しながら表現されて継承されてきました。

日本語の持つ特徴が、アジア近隣の中国や韓国よりも、ヨーロッパの歴史ある国の特徴に近く思われるにはそんな理由があると考えられます。


特に皇室や王室を継承している国が、日本の持っている精神文化に似通っていることは決して偶然の産物ではないと考えられます。

それでも、ヨーロッパという大きな大陸において、隣国との境界のせめぎ合いの歴史を持つ国に比べると、ほとんど外国による侵略経験のない日本はさらに独特の精神文化を持っていることが特徴としてあげられると思います。


現在の世界の共通語として確固たる地位を確保した英語においても、アメリカはわずか200年程度の歴史しか持たない新しい国であり、イギリスは王室を継承してきた伝統的な国として、その精神文化には大きな違いがあります。

情報量の差を考慮してみても、日本人が精神文化的には、アメリカよりもイギリスに対して親近感を感じる事が多いのは自然なことではないでしょうか。


感覚に頼っていては、持っている言語や民族の歴史によってかなりの差が出てしまうために、論理に頼るようになったことは自然の流れだと思われます。

その論理をより明確にするために、言語が磨きあげられていったと思われます。

やがて社会のルールが定められてくると、行動の基準がルールや社会の論理によって決められていきます。

ルールの異なる社会との区別が必要になってきます。

同じ社会に属する者のとしての分類が出来上がってきたのではないでしょうか。


かたや、日本においてはもともと一民族であった社会は、他の要素を自らが取り込むことはあっても侵されることはなかったために、分類の必要がなかったと思われます。

国と言う範囲で見てみれば、その中での権力争いはあったとしても、民族の存亡にかかわるような事態はありませんでした。

いわば、日本共同体として、社会の分類を考える必要がなかったと考えることができます。

最初から属するべき社会が固定的に存在していたということもできると思われます。

そこに存在していたのは、言わずもがなのルールであり共通認識であったと思われます。


そこで重視されたものは、固定化された社会の中における関係性であったと思われます。

家族であり同族である意識が、社会の中で存在し生きていくための基準であったと思われます。

家という考えは、今よりももっと重く意識されていたのではないでしょうか。


さまざまな社会が存在し、その中で同属として分類の意識をしていかないと生きていけない環境と、同族としての関係性を意識して生きていく環境の違いは、精神文化的に大きな違いを産んでいったのだと思われます。

属も族も学術的な分類の表現としてはいろいろな場面で使われていますが、分類として使われている内容においての定義はそれぞれあるにしても使用されている意味合いは同じものだと言えると思います。

ここでは、分類としての「属」と関係としての「族」としてみていくことによって、言語の持つ精神文化を考えることができるのではないかと思っています。


アメリカを代表とする近代文明は、「属」が前面に出る感覚です。

日本やヨーロッパ伝統国においては、「族」が前面出でる感覚です。

どちらも両面を持っていると思われますが、瞬間的な感覚としてどちらが前面出ることが多いかと言うことだと思います。


中国は、歴史の長い国ですが内外での紛争が長かった国でもあり、皆殺しの文化によって国が変わるたびに新しい社会が形成されていった国となっています。

その感覚としては「属」の要素の方が前面に出ていると思われます。

日本人が、中国よりもイギリスやドイツの方に親近感を感じる大きな理由はここにもあると思われます。


「属」は分類の基準として論理的なものであり物理的なものです。

そこには利害の共通性も大きな要素となります。

国と言う存在も大きな要素になります。

要素同士は並列であり、そこでの関係性は二の次です。


「族」は血のつながりであり、家族であり関係性です。

感覚であり、感情であり、主従であり、分担であり、序列です。

協調と貢献であり、要素同士の関係しか存在しません。


世界の言語から見た日本語の特徴を考えていったら、こんなところに行きついていました。

なんとなく、かなりのことの説明がこの「属」と「族」でできそうな気がしています。

これからも何回も出てくることになりそうです。

また、楽しくなってきました。