そうなると影響どころか、知的活動そのものが言語によって行われていることになります。
幼児期の4歳頃までに母語の取得を完了しますが、一番大切な時期は生まれてから18ヶ月までの母親との全機能を使ったコミュニケーションにあることもわかってきました。
そのために、学習言語としての国語に対して伝承言語という呼び方もされるようになっています。
人間の持っている言語が、母語を基盤にした3つの言語で成り立っていると考えられるようになってからは、母語に対しての重要性がますます増してきたと言えます。
知的活動と言語については、過去のブログでかなり詳しく述べているので、是非とも参考にしてください。
(参照:知的活動と言語について)
特に母語については、母国語との定義の違いかがわかりにくくなっていることや、言い換えるべきわかり易い言葉が見つかっていないことから、なかなか認知として広がっていかないもどかしがあります。
人の生涯を支えると同時に、知的活動の基本機能を作っていく言語なのに、あまり意識されていないものとなっています。
また、特に意識することがなくとも、生まれた子供が持っている半本能的な言語習得能力によって、自然に身につけていくように見えるものでもあります。
人の持っている言語の要素が、母語、国語、生活語の3種類であることがわかってい来ると、バイリンガルとしての言語の持ち方も国語や生活語の一部としての言語であることがわかってきます。
母語自体がバイリンガルになっていることはあり得ません。
言語の区別がつかない時期に身につけた母語は、言語を伝承する者(通常は母親)が持っている言語しか伝わりません。
伝承する母親がバイリンガルである場合が一番厄介なことになります。
伝える母親の方は、二つの言語の区別がついているので使い分けができますが、伝えられる幼児の方は両方が混ざり合った言語を一つの言語として持ってしまうことになります。
世の中にない言語です。
混在語(ピジン語)と呼ばれることもありますが、どちらの言語の環境に行っても違和感を持つようになり、どちらの言語も感覚として理解できないことになってしまうのです。
一般的には、バイリンガルの知能はモノリンガルの知能よりも低いとされています。
それは「外国語効果」と呼ばれる現象によって説明されています。
不慣れな外国語を使っている間は、その外国語自体を使うことが難しいだけでなく、思考力も一時的に低下するという現象が報告されているからです。
二つ以上の複雑な情報を同時に処理しようとすると、どうしても片方あるいは両方の成績が低下することがあります。
それでも長時間にわたって練習を重ねていけば、その低下する割合を小さくしていくことは可能です。
バイリンガルの場合は、二つの言語が同じレベルの母語として存在しているわけではありません。
母語は一つの言語しか習得することができないからです。
無理に二つの言語を母語にしようとすると、混ざり合った言語(ピジン語)として一つの言語として捉えてしまいます。
こうなった時の悲惨さは、本人でしかわかりません。
したがって、どんなに優秀なバイリンガルであっても必ず母語からの翻訳が行なわれます。
思考力の最大能力は母語によってしか生まれませんので、外国語での思考はどんなにやっても母語による思考にはかなわないのです。
バイリンガルと言うのは、母語からもう一つの言語への翻訳の効率がよくなっている状態のことです。
母語には遠く及びませんが、ある程度の思考は外国語でもできるようになっている状態であると思われます。
簡単な思考は第二言語である外国語でもできるようになりますが、複雑な思考になると言葉としては第二言語の言葉を使っていても、思考の特性は母語によるものとなっているのです。
更にその思考が複雑になっていくと、言葉自体も母語でないと対応できなくなっていくことになります。
外国語を使っている人の知的能力は、母語を使用している場合に比べると、相対的に思考力の低下を起こしていることになります。
知的活動には、認知活動、思考活動、表現活動の3つの要素があることは、知的活動と言語についてのテーマで何度も見てきています。
バイリンガルであっても、認知活動や思考活動については外国語を使う必要はないのです。
ここで無理に外国語を使おうとしたり、外国語で理解しようとしたりすることが、能力の低下を引き起こします。
外国語を使う知的活動は、表現活動だけでいいのです。
認知活動と思考活動は、基本的には個人で行うものです。
共同で行わなければいけないときだけ、相手との言語を考慮する必要があるのです。
必要に迫られて外国語を使う場面は、相手の言語で伝えなければならないときだけです。
外国語で入ってくる情報であっても、母語に変換して母語としての感覚で受取った方がはるかに認知能力が高いのです。
思考活動においては、そもそも母語で思考するためにあらゆる機能が発達してきているのですから、どんな外国語でやってもかなうわけがありません。
バイリンガルであっても、外国語を使用すべき場面は、相手の言語で伝えなければいけない表現活動のときだけなのです。
その時にも、母語によって、翻訳すべき外国語にした時にわかり易い表現を考えているのです。
バイリンガルは、これらの母語と外国語の使用のタイミングが自然に行われていることだと思います。
バイリンガルという言葉を聞くと、同じレベルで二つの言語を使いこなせるような感覚がありますが、そんな人は存在しません。
必ずしっかりとした母語があって、初めてバイリンガルが成り立つのです。
第二言語としての外国語を理解しているのは、母語の能力によって理解しているのです。
もう一つの言語として、その使い方や言葉そのものを、母語で理解できた時に初めてバイリンガルの可能性が見えてくるのです。
バイリンガルそのものが知能が低いわけではないと思います。
母語以外の言葉でおこなう知的活動が、どんなに頑張っても絶対に母語でおこなう知的活動にはかなわないことを言っているのだと思います。
中途半端なバイリンガルよりは、しっかりと母語を使いこなせるほうが、知的能力が高いと感じられることは間違いないようです。
日本語を母語として持つ者は、他の言語と比較して使用している音域が極端に低くなっています。
(参照:日本語 vs 英語(4)・・・音の違い)
そのために、聴力が衰える前の10代に他の言語に触れておいた方が馴染みやすいことは確かですが、母語の習得時や国語の基本の習得時に他の言語に触れさせることは、母語による機能開発の障害となることがあります。
日本語はとても大きな言語ですので、他の言語を理解して使いこなすことは比較的簡単にできるようになっています。
母語としての日本語をしっかりと身につけることが、バイリンガルへの近道のようですね。
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