たまに自分のブログ記事を読み返してみることがあります。
ほとんどのものは、その内容を覚えているのですが、中には「こんなこと書いたかな?」と思う記事に出会うことがあります。
間違いなく自分で書いているはずなのですが、記憶が薄いのです。
何かに触発されて、発作的に書いた記事だったのかもしれませんが、どうもその内容をよく覚えていないのです。
ほとんどの場合は余裕がなくてじっくり考えて書いていない場合が多いようです。
前後の記事を見ても、扱っている内容に関連性が薄くなっていて、その回をつなぐのに苦し紛れで何かをひねり出した感があります。
コメントやページビューも前後に比べるとかなり少なくなっている場合が多いです。
ところが、読み返してみると意外といいものがあるのです。
自画自賛になりますが、とても自分が書いたとは思えないようなものまであります。
ある程度のパクリは、全体を通してもいくらでもありますが、パクった割には良い内容になっていたりするのです。
自分のブログを読み返してみると、あらためてタイトルの大切さを感じます。
ほとんどの記事は、タイトルを見ただけでどんなことを書いたのか思い出せるのですが、中にはまったく「?」となってしまうタイトルのものもあるのです。
もちろん自分でつけたタイトルのはずなのですが、記憶から飛んでいるのでしょう、内容が全く思い出せないものがあるのです。
その一つに、「絶対に敗者になるな!」があります。
(参照:絶対に敗者になるな!)
なんというタイトルを付けたのでしょうか、きわめて当たり前のタイトル過ぎて中身が全く思い出せないのです。
全文を読み返してみたのですが、果たして自分で書いたものかどうかすら疑わしい感じなのです。
考えながら書いている場合は、部分的に回りくどい表現や素直でない表現がたくさん出てきますので、苦労した形跡がよくわかります。
「絶対に敗者になるな!」は比較的すんなりと表現できている方だと思います。
もしかしたら、あまり考えずに短時間でスパッと書き上げてしまったので、印象に残っていないのかもしれません。
更には、ラベルの区分が「雑話」となっているために、本来の趣旨の日本語のチカラとは若干離れている内容になっているからかもしれません。
ところが、読み返してみると、評価が少ない割にはいい内容となっています。
自分で言うのもおかしなものですが、わかりやすくある種の真理を突いた内容となっています。
時間が経って読んでみると、間違いなく自分で書いたものだとは思いますが、「なるほど」と思うところがあります。
特にこの記事については、厚黒学という本を読んで思うところがあったことをヒントに書いたものだったことを思い出しました。
厚黒学については6月29日に「厚かましく腹黒く生きる」というタイトルで扱っていますので、参考にしていただきたいと思います。
(参照:厚かましく腹黒く生きる)
こちらは、「絶対に・・・」に比べると3倍以上のページビューを稼いでいるタイトルとなっています。
今でもその癖が抜けないのですが、このころのブログは伝える対象が絞れていないことがよくわかります。
絞れていないというよりは、書いている自分がもう一人の自分を想定して、そいつに対して伝えているような感覚がしました。
まさしく自己満足以外の何物でもないですね。
表現の内容も、理解してもらいたいという優しさが感じられませんので、多少は構えて読みはじめないと理解しにくいものとなっています。
もう少しわかりやすく表現することもできたのではないでしょうか。
そんなことができるのも、ブログとしてストックされているからのことですね。
SNSはフローの情報ですので、どんなに苦労して作り上げてもどんどん流れていってしまい、検索することができません。
ブログは、少し前の自分と向き合うには、とてもいいツールではないでしょうか。
しかも、人目に晒されていますので、ある程度の緊張感と牽制が働いているためにいい加減なことを書くわけにいきません。
何らかの主張を持って伝えることを意識することで、日本人の一番苦手な表現することを鍛えるとてもいい場ではないでしょうか。
人のブログもゆっくり読んでみたいと思いますが、自分のブログをアップすることが精いっぱいの状態で、なかなか余裕がありません。
タイトルで興味をひかれたものをたまに読むくらいのことしかできていません。
あらためて、タイトルの大切を感じています。
検索でもブログはタイトルが一番引っかかってきます。
日本語を大テーマにしている以上は、もっとタイトルにも気を使わなければいけないですね。
自分で検索してもなんだかわからないタイトルでは、読む人にわかるわけがありませんものね。
過去のブログのタイトルを変えてみて、ページビューにどんな変化出るのか見てみるのも面白いのではないでしょうか。