どうやら世の中のあらゆる交渉について研究する学問とでも呼ばれているようですが、もともとはゲーム論を中心とした経済学や心理学・政治学などの学際的にあったものが、少しずつ体系化されてきているようです。
そうはいっても、現実には意思決定分析のような研究領域からビジネスの実践訓練など大変多岐にわたっているものでもあります。
そこにも、対照的なアプローチがあり、時代によっての流行的なものもあるようです。
ひとつは、権力やポジションなどを背景にした、強硬な態度や強引な説得によって交渉を勝ち取ろうとすることであり、もう一つは、協調的な交渉によって双方の便益を少しでも高めようとするものです。
前者は強者の論理となり、立場的に強い方が一方的に利を得ることとなり、交渉における勝者と敗者がはっきりと分かれます。
後者は、一方的にむさぼり取る勝者の立場を善しとせず、双方がある程度の便益を享受できるものとなります。
特に先進国におけるこれからの交渉は、後者の方に移行してきていますが、前者の交渉が中心となっている分野や国があることも否定できません。
それでも、これからのトレンドは協調的な交渉において一方的な搾取を許さない方向に向かっていることは確実であると思われます。
ところが、論理的には成り立っているはずのこの協調的な交渉が、実際の場面ではなかなかうまく運用できていないことが多くあります。
日本語の感覚が持っているもので言うところの、「なかを採っていきましょう。」や「三方一両損」「痛み分け」などがそれにあたると思われます。
特にお互いの主張と譲歩が限界となった時に、交渉の最後の落としどころとして、明確な勝者敗者を作らない日本人らしい交渉術です。
これを真似て、作り出した方法が、win-winネゴシエーションです。
そもそも、二元論を原則とした勝ち負け、正悪、賛否のどちらかを決めないと落ち着かない彼らにとって、交渉とは勝つための手段であって、一方的な勝利を得るための手段であったわけです。
一方的に負ける可能性が大きい場合は、交渉という手段を回避しようとします。
交渉というのは、はっきりとした勝ち明けを決する場であったのです。
今更、協調的な交渉と言われても、そう簡単に本質が変わるわけがありません。
それでも、一方的な搾取に対する非難は法律でも規制されるようになってきました。
そのために、一方的な搾取をしながらも、相手にそのように思わせないために開発された技法が、win-winネゴシエーションです。
一部の人がありがたがって使っているような、両者の利益を考えた交渉とはかけ離れたものです。
その実態については過去のブログを参照していただきたいと思います。
(参照:Win-Win にだまされるな)
交渉の場面においては特に、英語との対照において日本語を考えてみるとわかりやすいのではないでしょうか。
英語は、言葉なり文字なりで表現されていることが全ての情報です。
そこで拾いきれなかった事は、交渉の対象となることもありませんし、交渉において考慮されることもありません。
ニーズも望んでいる結果も表現されなければ、交渉の対象とはならないのです。
交渉の必要がある事については、必ず何らかの表現がされてテーブルに載らなければならないのです。
そして、そこで白黒をはっきりとつけることが、英語の文化であり当たり前の姿であるのです。
勝った方がすべての利を享受し、負けたほうは利を得ることができないことになります。
そのために恨みや悔しさは残りますが、そこは感情よりも論理が優先する英語文化です、怨念が残ったとしても論理において敗けたことで自分自身を納得させるのです。
そのことが次の場面での勝利に対する執念となってくるのです。
彼らは、勝つか負けるかわからないという態度で交渉には臨みません。
必ず勝ちにいくのです。I can なのです。
(参照:日本語 vs 英語)
日本人は交渉事が好きです。
交渉うごとよりも相談事と言った方がいいかもしれません。
そこでは、行間を読んで相手の状況を推察することが行なわれます。
相手の立場や、会社の状況を踏まえた判断が自然に行われるのです。
強者はいつまでも強者でいられることがないことをわかっています。
平家物語の世界ですね、盛者必衰のことわりが精神文化にしみこんでいますので、強者が強者であるためには弱者に対しての施しが必要なものだと考えられています。
英語圏のボランティアとは、持ちすぎたものが罪ほろぼしとして行うニュアンスが強いのに対して、日本の施しは持ちすぎる前に分け与えることを前提としています。
そのために、交渉の中に存在する利のすべてがどちらか一方に独占されるということが、起こりにくくなります。
更には、「ここでは泣いておいてくれ、その代り必ずこっちは任せるから。」という口頭の、実現性が比較的低い約束が出てきたりするのです。
受ける場合にしても、絶対はないとわかっていても、貸しを作ったとしてその後の交渉を優位に運べる口実を得ることになります。
相手の立場や影響力を考慮して、その場の単独交渉だけでの勝ち負けをはっきりつけようとはしないのです。
表現されたものだけではない、共通認識や相手の状況を推察することによって、最後の落としどころは双方にとって利がある地点に落ち着いていくことになります。
一方的な搾取は、禍根を残し警戒し続けなければならない敵を作ることになります。
日本では、恨みは理屈を凌駕します。
感情が論理を押さえつけて行動に移るのです。
完全なる支配や、根こそぎの虐殺はあり得ないのです。
生ある限り、相手の変化や成長による逆転を恐れるために、完全なる搾取をせず恨みを抱かせないように施しを残すのが日本であり、根こそぎその可能性を抹殺してしまうのが欧米・中国なのです。
体裁としての交渉がまとまった締結の場面が欲しいのであれば、根回しによってその場面を作ればいいことになります。
日本型の交渉が、注目を集めています。
もちろん、すべてが良いところだけではありませんが、世界の交渉から見ると学ぶところがたくさんあるようです。
目先のテクニックだけではなく、日本人の精神文化が現れた場面が交渉の場面ではないでしょうか。
日本人同士だから成り立つ交渉もたくさんありますが、どんな条件が整えばそのような交渉が可能なのかは研究する価値がるのではないでしょうか。
またまた、日本語を使いまくっての楽しい場面がありえそうですね。
日本人や日本語の感覚を表現し、他の言語を母語とする人たちに理解してもらうことは大変難しいことですが、今後はもっと積極的に取り組む必要がありそうですね。
日本の良さは、、まだまだたくさん見つかりそうですね。
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