2014年10月17日金曜日

日本ができること

言語の世界でいろいろなことを見てきましたが、見れば見るほど日本語は本当に特殊な言語です。

日本語だけの世界にいたのでは、そのことが当たり前になっていて、自分たちの言語が特殊なものであることに気が付きません。

そうかといって、世界の言語と比較する機会はそんなにありません。

また、比較する言語によってはその対比によってどちらが特殊性を持っているのか判断もつきにくくなります。


そんな中で、現時点での世界の共通言語としての地位を確保しているのが英語です。

あらゆる国際機関の公用語であり、英語を公用語としている国や地域は80を超えています。

また、言語としての英語はアルファベット使用言語の中でも、典型的な特徴を持った言語であるためアルファベット使用言語の代表として扱うことができるものです。

世界の言語のなかで、日本語がどの様に見えるのか、どんな特徴を持っているのかを理解するためには、英語との比較が一番わかりやすいと思われます。

そんな見方をしてみた中でわかってきたことがあります。
(参照:日本語 vs 英語


それは、このままの流れでいったら日本語はなくなるだろうということです。

世界を相手に交渉することが当たり前になってなってくると、相互理解のための共通語が必要になってきます。

ほとんどの場合共通語は、双方が歩み寄るものにはなりません。

両者の立場にもよりますが、基本的には立場の弱い方が強い方の言語に合わせて翻訳することになります。


強者はその立場をさらに強固にしようとしますので、自国の言語(母語)が公用語となる環境を増やそうとします。

現在、日本人以外で日本語を母語話者として日常語で使用する人はいません。

日本語は、一歩日本を離れると全く役に立たない言語なのです。

しかも、その日本語の持っている性格や特徴は、世界の共通語・公用語である英語と比べると両極端と言っていいほどの違いがあります。


仮に、日本語を母語として持つ者が英語を使いこなせたとしても、日本語の感覚でコミュニケーションツールとしての英語を使っているだけですので、日本語で持っている感覚は伝わらないものと言えます。

英語という言語の文化的な背景や言語感覚は、英語を母語とする者にしかわからないものです。

しかも、現実には無意識の感覚として備わっていることがほとんどですので説明して理解でき様なものとはなっていません。


自分の持っている母語が公用語の場合は、全く問題なく母語感覚だけでコミュニケーションが可能となりますが、日本語のように全く感覚の異なる言語を母語として持つ場合には、新たに公用語の感覚を学ぶ必要があるのです。

見た目のバイリンガルは可能ですが、思考のバイリンガルは不可能です。

思考は、複雑になるほど母語に頼ることになります。

そもそも、思考を代表とする知的活動は、母語によって磨かれてきていますので、母語以外での知的活動が母語での知的活動にかなうわけがないのです。


知的活動の結果を、母語以外で表現しなければならないときだけ、母語から表現言語への翻訳が行なわれるのです。

バイリンガルとは、この翻訳の行為が効率よくできるだけのことであり、決して他の言語で思考できるわけではないのです。

言語の習得レベルにおいては、浅い思考は他の言語でも可能になるようですが、しっかりした思考をする場合には自然と母語で行うようになっているのです。

誰にとっても、思考言語は母語が最優先されます。


思考言語と同じ言語で表現ができることが、一番的確な表現ができるはずです。

一番コミュニケーションがスムーズにいくはずですし、表現技術が一番発揮できるはずです。

だから、自分の母語が公用語であることがとてつもない大きなメリットとなるのです。


英語に次いで公用語としての地位が高いのがフランス語です。

どちらの言語も、もとを正せばギリシャ・ローマ語からの流れを継承しているものです。

言語としての基本的な性格や特徴は、大きな違いがありません。

歴史文化的にも、日本語と英語ほどの隔たりがある部分を見つけることは不可能です。

アルファベット使用言語はその源流をほとんど同じくしていますので、相互理解においても共通性が沢山あり比較的容易に行うことができます。


アルファベット使用言語との対極にあるのが、日本語であり朝鮮語であり中国語です。

しかし、中国語はアラビア語とともに国連の公用語となっている言語です。

公用語間の翻訳には専門家がいて、母語としないところにおいても常に研究や発表がなされています。

国際機関の公用語には、言語としての生き残りのために大きなメリットがあるのです。

母語としない者たちまでが研究して、継承してくれるのです。


日本語は、個人的によほど日本や日本語が好きな人しか触れてもらえません。

日本の人口がこれから減っていく環境や、経済的な日本の地位が相対的に落ちてきている現状では、日本語を残してくことは難しいでしょう。

そのためにできることは、世界のより多くの人に日本に興味を持ってもら得るような、国際的な活動や活躍が不可欠です。

出来れば、日本が主導して世界を導けるような、日本語を公用語として使用できる環境ができることが望ましいことです。


最近のニュースや出来事を見ていると、日本が世界に貢献し指導できる大きな可能性に気がつきました。

それは、国際救助隊です。

そうです、懐かしい響きですね、あのサンダーバードです。


ここ数年の日本がこうむった自然災害は、地震・津波・火山噴火・台風・竜巻・渇水・洪水などまるで自然災害の展覧会のようです。

更には、そこからつながる原発事故・鉄道事故・森林破壊や世界でも類を見ない治安維持・衛生管理・インフラ整備などの復旧活動は超一級のものがあります。

自然災害から原発事故まで、ほとんどあらゆる災害を経験しているのではないでしょうか。


自衛隊などは、本来の自衛隊としての活動よりも災害派遣や救助活動の方がはるかに出動件数が多いのではないでしょうか。

自衛隊、警察、消防の協力した御嶽山の捜索も、昨日の冠雪によって本日から中止となりました。

命を懸けた捜索救助活動は、とても頼もしく思えたのは私だけではなかったと思います。


あらゆる災害を経験し、過密都市から原発・離島まであらゆる環境に対応する日本の捜索救助活動は、軍事力に替わって世界の真の平和に貢献する物ではないでしょうか。

弾丸の代わりにコメを、空爆の代わりに援助物資を、それを正確に早く行うための開発競争はいくらやってもいいのではないでしょうか。

日本の持っている弾薬は、演習以外に使うことはないはずです。

軍需技術は世界の最先端の開発競争ですが本来不要なものです、その技術は紛争地域・災害地域に対してより正確に安全により早く運ぶ技術になりませんか。


世界を巻き込む前に、日本が自ら国際救助隊構想を立ち上げて、実践していくことは可能ではないでしょうか。

自衛隊という名前よりも、国際救助隊の方が誇りが持てないでしょうか。

自衛隊や海上保安庁、警察、消防など、あらゆるところにその知恵と技術があるのではないでしょうか。

これらを統合した国際救助隊校は、決して夢物語ではないと思います。


言語の比較に限ってみても、もっと日本らしさがたくさん見つけられると思います。

日本らしさを発信していくためにも、表現するための言語の習得は必要ですね。

日本語をしっかりと身につけた後に、英語で表現することを学ぼうということになるのでしょうかね。





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