2014年10月12日日曜日

ACTFLって聞いたことあります

ACTFLは、全米外国語教育協会(American Council on the Teaching of Foreign Languages)のことで、アメリカ人を軸に外国語を学ぶための基準を設定しているところです。

アメリカらししいのは、きわめて詳細に分析された上に設定されたレベルランクと、それぞれのランクに応じた内容を、スピーキング、ライティング、リスニング、リーディングとして細かく分けていることです。

言語運用ガイドラインとして2012年に改訂されたものは、対象言語として英語を含めた12の言語について設定しています。

その言語は、6つの国連公用語(英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラビア語)に加えて、アゼルバイジャン語、ドイツ語、インドネシア語、日本語、韓国語、トルコ語となっています。

母語話者の人口数のランクとは若干の違いもありますが、アメリカが考えている現在の主要言語と考えていいのではないでしょうか。


それぞれのランクも、卓越級(Distinguished)、超級(Superior)、上級(Advanced)、中級(Intermediate)、初級(Novice)と細分化されており、さらに上級、中級、初級についてはその中でも上、中、下(High、Mid、Low)に分けられています。

興味のある人は協会のホームページをご覧になってください。
(参照:全米外国語教育協会ホームページ


そこにはアメリカにおける言語戦略の一端を見ることができるのではないでしょうか。

一番最初にスピーキングが挙げられていることもありますが、その中でも対人交流(相互作用的で、二方向のコミュニケーション)、または、発表型(一方向型、非相互作用的)の発話を評価するのに使用することができるとしていることも、彼らの言語に対する感覚をよく表しているものと思われます。

どんなに良いアイデアや論理であっても、その評価はアウトプットされたものでしか評価することができません。

日本人の感覚としては、アウトプットされたものから感じ取れるその人の持っている潜在能力に対する評価となりますが、彼らの評価の対象はあくまでもアウトプットされたものそのものです。


したがって、アウトプットされたものの評価と個人の評価とは区別がされており、どのような人がアウトプットしたものであっても、その内容については個人の持っている潜在能力とは関係なくきちんと評価するのです。

このことは、評価の対価としての報酬にも反映されており、業務として行なう場合においては、どんなアウトプットを求めるのかを明確を設定します。

ジョブ・ディスクリプションとして求めるアウトプットを提示し、ジョブ・レスポンスビリティとして責任を明確に表現して、そのことのパフォーマンスについてのみ評価の対象とするのです。

そのために求められるスキルはありますが、スキルよりも結果としてのアウトプットが求める内容にあればそちらの方が優先されます。


対して、日本においてはそもそもの業務の内容が明確に定められていない場合が多くなっています。

求められるアウトプットに対しても抽象的な表現のものが多く、採用の判断においても個人の潜在能力の方が重視される傾向にあります。

資格の保有などが重視され、資格を保有していることが個人の潜在能力の一部として判断されていることになります。


彼らの場合は、表現されていることがすべてですので、求めるアウトプットが達成されるのであれば潜在能力は関係ないのです。

どんなに成績が良くても、現実のアウトプットにつながらなければ意味がないのです。

評価はアウトプットに対しての評価であり、その基準は明確になっていますのでそこでの評価についてはわかりやすいものです。

アウトプットの評価は個人の能力しての評価ではありません。

アウトプットに対しての評価ですので、個人的な能力やスキル、ましてや人格的な評価ではありません。


したがって、アウトプットに対しての評価がいかに悪くとも、個人としての人間的な評価とは結びつかないものとして考えられています。

日本人の場合には、アウトプットそのものに対しての考え方が明確ではありませんので、評価と言うとどうしても個人の能力の評価として捉えてしまいがちになります。

会社の業務上の評価が悪いと、全人格的に否定されたような感覚を持ってしまいますし、周りもそのように見てしまいます。

学校の成績が、まるでその人のすべてを表しているような感覚を持ってしまいます。

業務上の実績が悪いと、いい成績だったのにとかいい大学を出たのにとか、直接的なアウトプットに関係のない評価の比較がされてしまうのです。


日本型の感覚の良いところもあります。

中小企業で、一人で何役もこなさなければいけない場合などは、業務を限定することができない場合が多くあります。

そのような場合には、決められたアウトプットだけでは成り立たなくなります。


アメリカ型は、分業が多くなっていますので、事業を始める時にも始めた時にも、人に頼るアウトプットが多くなります。

初期投資にかかる費用は、アメリカ型の方が多くなってしまいます。

その分投資を集めなければなりませんので、自分の事業や計画について誰かを説得して投資をしてもらう必要が多くなってしまうのです。

事業として比較的早くの段階から、各分野の専門のアウトプットをしているところに頼ることが多くなります。

専門のアウトプットを事業としても成り立つ素地があることになります。


日本は、とりあえず始める段階ではほとんどのことを一人でやることができます。

かなりのところまで、個人レベルでやることもできます。

中小企業の独自性は日本の方があるのではないでしょうか。

レベル差があったとしても、専門のアウトプットではなく、様々なことをできる必要が出てきてしまいます。

よほどのレベルがないと専門のアウトプットで業として成り立つことは少なくなります。


彼らは自分たちのやっていることを世界標準にしようとしています。

ほぼそうなっているところもあるでしょう。

合わせなければいけないのは日本の方になります。


彼らは、自分たちが世界標準になるために、他の国や他の言語を研究します。

優れた所を取り込みながらも、自分たちの感覚やスタイルを世界標準にする戦略を実行していきます。

彼らの言うグローバル化とは、アメリカ化に他なりません。

その分、他国の研究について怠ることはしません。


ある分野で自分たちよりも素晴らしいアウトプットが発表されると、すぐに研究し対策を練ります。

一度つかんだ世界標準の座は、二度と手放してはいけないのです。

世界標準とは、自分たちの標準でなければいけないのです。


日本のスタンダードが世界標準になることはとても難しいですが、そうなった時のメリットは計り知れないものがあります。

そんな観点から世界と向き合っていったら、何かできるのではないでしょうか。

日本発の世界標準は、大衆文化的な面ではそこそこあるのですからできないことではないと思われます。

世界で日本語を学びたがっている人の多くは、そんなことから広がっているのではないでしょうか。

カラオケ、コスプレ、漫画・・・まだまだ行けるのではないでしょうかね。

そんなことにかかわっていきたいですね。




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