(参照:言語と「ことだま」)
「ことだま」を「言霊」と書いてしまうと一つの誤解を生む恐れがあることがわかりました。
それは、言葉自体がそれだけで何かの霊力やチカラを持っていると思われてしまうことです。
特に文字のなかった時代の言葉は音だけでけあり、その音の響きによって何らかの影響があるのではないかと思われることがあります。
そのことをして「ことだま」であると勘違いしている場合もあるようです。
言葉としての音は、人によって発せられたものです。
誰かが何らかの意味を込めて発した音です。
その人が発した音に込めた意味によって、初めて言葉はチカラを持つことになります。
言葉の一般的な意味は、教育等によって知識として身についているかもしれません。
しかし、自分が大事にしている言葉や好きな言葉と言うものは、一般的な意味とは異なったニュアンスを持っています。
だからこそ、自分の印象に残る言葉となっているはずです。
言葉の一般的な意味と異なったこのニュアンスはどこからきているのでしょうか。
誰かが、その言葉によって伝えてきた感覚・ニュアンスに、あなたの何かが応じたから強い印象として残っているのではないでしょうか。
一般的な意味とは異なった、その人独特の何かをその人が使った言葉から感じ取ったからではないでしょうか。
そうです、言葉そのものではなく、その言葉を使った人によってその言葉がチカラを与えられたのです。
そのチカラが、あなたに何かを感じさせることができたたのです。、
その感覚は、言葉によってあなたの中に刻み込まれます。
やがては、誰が言ったのかを忘れてしまっても、言葉とその感覚・ニュアンスは結びついて残っていくことになります。
単なる音だけでは雑音と一緒です。
誰が発したのか、その誰かはこの音にどんな意味を込めたのかが大切になります。
同じ音であっても、発した人によってそのチカラは異なるのです。
したがって、言葉はそこにあるだけでは何のチカラもありません。
言葉自体にチカラはありませんが、人が発することによって、つまりは言葉を発する人によってチカラを与えられるものとなります。
大切なのは、誰が発した言葉であるかであり、言葉自体は無味無臭、無色透明、無力な存在です。
そして、日本人は日本語を母語として持っていることによって、自然界の音の中から言葉を聞くことができるようになっています。
(参照:気づかなかった日本語の特徴(3))
自然界の音を言葉として聞き、そこから何かを感じ取っているということは、自然の言葉を誰かが使って伝えているという感覚があるということになります。
そこに神と言う存在を感じている、共通の無意識の意識があるのではないでしょうか。
言葉そのものにチカラはありません。
その言葉にチカラを与えるのは、言葉を使う人であり、受け取る人です。
同じ言葉の同じ音であっても、使う人や受け取る人によってその感覚・ニュアンスは異なるのです。
特に受け取る側は、自分の解釈によって、発信側の意図とは異なったチカラを勝手に受け取ってしまうことがあります。
そうしているのは、今までの経験や知識などの自分のフィルターを通して受け取ってしまうから起きることです。
言葉そのものは、無味無臭、無色透明、無力な存在です。
それに色や味やチカラを与えるのは人です。
まずは、自分のフィルターを外して無味無臭、無色透明、無力な存在をそのまま受け入れることが大切ですね。
そこで初めて、その言葉に込めた発信者のチカラを感じることができるのではないでしょうか。
同じ言葉でも、人によって込められているチカラが異なります。
自分の知識や理解としてフィルターを通して批判的に受け取ることも可能ですし、過剰に洗脳的に受け取ることも可能です。
しかし、まずは発信者の言葉に込めたチカラを素直に感じるために、すべてのフィルターを外して受け取ることが大切ではないでしょうか。
「ことだま」とは言葉が持っている力ではなく、言葉を使った人や受け取った人がその言葉によって感じ取るチカラのことではないでしょうか。
だからこそ、誰がどんな環境でその言葉を発しているのかが大事になります。
言葉に与えられたチカラを、できるだけ使った人と同じような状況で感じる必要があるからです。
そこに臨場感があればあるほど、言葉はよりチカラを持って伝わってくるものとなるのではないでしょうか。
言葉を発するもの(人や神)が、言葉にチカラを与えます。
誰がどのような場面で使ったわからない言葉にチカラを感じるとしたら、それは自分のフィルターで無味無臭の言葉に対して勝手な味をつけて解釈していることになるのでしょう。
ここでも、知識と経験が邪魔をすることがありますね。
余分な知識と経験(どこからが余分かは難しいですが)は、かええって邪魔になるのかもしれないですね。
自分のフィルターを通さず、発信者の言葉のチカラを素直に聞き取ることが日本語の基本のようですね。
この感覚は日本語の感覚の中に潜んでいるのでしょうね。
だから、日本人は素直でだまされやすい、悪意のある言葉のチカラにも影響されやすいのかもしれませんね。
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