2014年9月8日月曜日

ここにも見える日本語の感性

日本人の独特の感覚は、母語によって形成された脳の機能から来ていることは何度か述べてきました。
(参照:脳科学から見た日本語の特徴脳の機能から見た日本語

そこでは30年以上も前に、西洋人はおろかほとんどのアジア人とも異なった特徴を持つ日本人の脳について著した、角田忠信先生の「日本人の脳」を取り上げました。


今回はそこまで徹底的に日本人に焦点が当てられてはいませんが、西洋人と東洋人と言う観点では実に的を射ていると思われるものを取り上げてみたいと思います。

アメリカの社会心理学者リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』からの引用しました。

出版されたのも2000年以降だと思いますし、今現在も何らかの形で手に入れることができる本だと思いますので、読んだ人もいるのではないでしょうか。

その中でこんなテストが掲載されています。





牛の仲間はどっち?

まず、上図を見てください。

牛とのペアをつくるなら、A(ニワトリ)とB(草)のどちらを選びますか?


この質問をニスベットがアメリカと中国の子どもたちにしたところ、アメリカ人の子どもが牛とニワトリの組み合わせを選んだのに対し、中国人の子どもは牛と草をペアにすることが多かったとあります。

牛とニワトリを組み合わせるのは、ともに分類学上の動物だからだと思われます。

牛と草の組み合わせは、牛は草を餌として食べるのに対し、ニワトリは食べないからだと思われます。
すなわちここでは、「分類」よりも両者の「関係」が重視されていることになります。


もう一つのテストがあります。



ターゲットに似ているのはどっちのグループ?

ニスベットたちの研究チームは、上のようなイラストを、韓国人、ヨーロッパ系アメリカ人、アジア系アメリカ人の実験参加者に見せ、ターゲット(下のイラスト)がどちらのグループに近いかを訊きました。

韓国人のほとんどは、ターゲットがグループ1に近いと答えました(私もそう思いました)。

それに対してヨーロッパ系アメリカ人のほとんどは、グループ2を選んだそうです。

アジア系アメリカ人は、その中間だったとなっています。


グループ1は、ターゲットと「家族的類似性」を持つように描かれています。

ターゲットになんとなく似ているのですが、すべてのイラストとターゲットに共通する規則があるわけではありません。

グループ2は、ターゲットに似ていないものもあるが、ひとつだけはっきりとしたターゲットと共通した規則を持つように描かれています。

すなわち、「真っ直ぐな茎」を持っていることです。


ニスベットは、その他の実験においても、西洋人がこのような「分類学的規則」を素早く見つける傾向があることを明らかにしました。

それに対して東洋人は、規則を適用してものごとをカテゴリーに分類することが苦手で、そのかわり部分と全体の関係や意味の共通性に関心を持つことを見つけました。

カテゴリーは、名詞によって表わされます。

ひとやものとの関係は、動詞によって明示的、あるいは暗黙のうちに示されることになります。

そう考えれば、西洋人は世界を「名詞」で考え、東洋人は「動詞」で把握しようとしているとも言う事ができるとしています。


こうした実験が明らかにしたのは、西洋人の認知構造が世界をもの(個)へと分類していくのに対して、東洋人は世界をさまざまな出来事の関係として把握するということです。

この世界認識のちがいが、西洋人が「個人」や「論理」を重視し、東洋人が「集団」や「人間関係」を気にする理由になっていると言っています。

アジア系アメリカ人(アメリカで生まれ育ったアジア系のひとびと)は、大半の調査で東洋と西洋の中間であることが多く、一部の調査ではヨーロッパ系アメリカ人とほとんど同じ回答をしたようです。

日本人はとくに影響を受けやすく、ある研究では、アメリカに2~3年住んだだけで、日本人の考え方は純粋なアメリカ人とほとんど区別がつかなくなってしまったとなっています。


日本人の感覚は、周りの空気や考え方を読んでそれを尊重する傾向にあります。

したがって、日本人同士の環境の中では、黙っていてもお互いに尊重し合って分かり合う事が可能であっても、その環境がなくなってしまうとすぐに周りの環境に適合してしまう能力にたけていることになります。

適応はすぐにできますが、持っている本質に変化があるわけではありませんので、どこかで違和感を感じることになると思われます。

それがどこで出るのかは、それこそ個人的な環境やもともと持っていた感覚によって異なってくるのではないでしょうか。


この感覚のもとは、4歳頃までに身につける母語によって決まってきます。

母語は、伝承言語とも呼ばれる、母親や家族から伝えられて身につける、きわめて個人的な言語です。
(参照:ここまでわかってきた「母語」

実際の言葉だけでなく、その言葉による日本語としての感覚も伝承していくと思われています。

母親の持っている日本語や精神文化が、どんどんと西欧化している現在では、子どもに伝承されていく母語としての日本語にもその影響があると思われます。

日本語話者は、その感覚として持っている優れた環境対応の性格からして、自己主張よりは環境調和の方に向かう傾向があります。


精神文化としての感覚が、自分の意思を表明することを善しとせずに、周りの意志を忖度して環境調和を図る傾向にあります。

そのために同質の環境においては、その調和によって思わぬ大きな力を発揮することもありますが、異質な環境においては自らを殺して迎合してしまうことが起こりやすくなります。

地理的な条件を含めて、強烈な個を持った外国による侵略から免れ続けたからこそ継承されてきた精神文化ではないでしょうか。

侵略、戦争、競争、などとは対極にあるものではないでしょうか。


協調すべき相手が自然であることは、すでにみんなが感じていることだと思います。

日本人が自然の言葉を聞くことができるチカラは、かつてはすべての人類が持っていたチカラではないでしょうか。

自ら大きな意思の間違いを犯した日本は、その経験を不戦の誓いとして持ち続けています。


純粋に自然とともに生きるためのチカラを持ち続けることができている日本は、言語としての日本語によってその能力を伝承し続けているのではないでしょうか。

その力を発揮すべき機会はいたるところで起きています。

科学の力による人間の生存環境の悪化は、自然との調和を意識すればもっと早くに手が打てているはずです。

自然の中に生かされているという感覚は、日本語を使う人ならば誰でもが共通に理解できる感覚です。


言語としての日本語は、日本語の純粋伝承の環境の中でしか生き残っていくことはできない言語だと思われます。

自然との共生、自然との会話においては、ポリネシア語と極めて近い性格を持った言語です。

それにもかかわらず、文字のない時代の言語を継承しながらも、世界の最先端文明を取り込んできたのです。

個を中心とした近代言語の侵略から逃れることができ、しかも世界の最先端の文明を保有した奇跡の言語ではないでしょうか。


もうすでに出番は来ているのでしょうね。

自信を持って発信していきましょう。

日本語でいいんです。




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