お中日が23日(秋分の日)、明けが26日です。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言った季節を表す言葉としても使われていますね。
彼岸を過ぎると、それまで厳しかった暑さや寒さが「やわらぐ」という表現を使います。
俳句では彼岸と言えば春彼岸のことを指すことになっているようです。
秋の彼岸については、わざわざ秋を付けて秋彼岸と記すのだそうです。
彼岸は、仏教用語であることは間違いありませんが、その語源は古代インド仏教のサンスクリット語の梵字(梵語)になります。
サンスクリット語の「波羅蜜多」(Pāramitā パーラミター)の漢語意訳「至彼岸」から来たものと言われていますが、異説もあります。
彼岸とは悩み事も一切ない極楽浄土に到達する境地のことです。
つまり、私達のいる現世・迷いの世界を「こちら岸」という意味で「此岸(しがん)」、一方この世から見て あの世である悟りの世界、「向こう岸」という意味で「彼岸(ひがん)」といいます。
「此岸」に対しての「彼岸」なわけですね。
「彼岸」は季節の言葉としても休日の言葉としても使用することがあるので馴染んでいますが、「此岸」については聞いたことがありませんでした。
「こちら岸とあちら岸」については言葉としても聞いた経験があります。
「彼岸」は「此岸」と一体になって理解できるものですね。
日本では「彼岸会(ひがんえ)」という先祖供養の行事風習として広がりました。
彼岸会は「お彼岸」とも言いますね。
彼岸会を行うことで彼岸に到達したであろう先祖を供養し、自分もまた彼岸に到達することを願ったのですね。
そんなこともあるのでしょうか、彼岸にの由来についての異説の中には、「日願(ひがん)」から来たものだとする説もあります。
彼岸以外にも現代でも使われているサンスクリット由来の言葉は沢山あります。
特に仏教用語であった言葉を、明治維新の新しい文化を導入した時に外来語に言葉として充てたために、一般語として広まったことも大きな理由となっています。
その中でも音写(外国語の語音をそのまま他の言語の文字にすること)で日本語になったものがあります。
例えばullambanaウランバナ→【盂蘭盆会】→【お盆】などは典型ですね。
日本語の表現の豊かさを説明する根拠の一つに、季節の移り変わりの多さがあります。
それぞれの特徴を持った四季が移っていくために、自然の環境が日々変わっていくことになります。
日々の変化には気が付きにくくとも、ふと気づいた時には季節の移り変わりを感じるという微妙な変化と確実な変化を持っている季節の移り変わりです。
それぞれの季節における雨もまた、季節に彩りを添えるものとなっています。
(参照:雨に関する言葉)
変化の多い気候における農耕は、自然との戦いという様相ではなかったと思われます。
好きなように変化していく自然に対して、ひたすらそのあとを生きていくことしか考えられなかったのではないでしょうか。
その中で自然に対して神の存在を感じていくのは、それこそ自然の流れであったろうと思われます。
季節を描写する表現の豊さと、そこに垣間見える神の存在は、日本語の原点ともいえるものではないでしょうか。
音として入ってきた仏教用語から成り立っている、「彼岸と此岸」よりも、「あちら岸とこちら岸」の方がしっかりと心に響いてくるのは私だけではないと思います。
季節の変わり目は、人の心を揺らします。
そんな時に言葉について考えてみるのもいいですね。
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