1976年にアメリカの文化人類学者であるエドワード・ホールが、『文化を超えて(英語版)』のなかで世界中の言語をコミュニケーションの型で分類しています。
そこでは高文脈文化と低文脈文化に二つに分類されています。
呼び方の高低については、優劣の差をつけているわけではなく、単なる分類として用いているものです。
それぞれの型は上のような特徴を示すものとしています。
そして、高文脈文化の極端な言語の例として日本語を挙げています。
また、低文脈文化の言語の例としてドイツ語を挙げています。
高文脈文化のコミュニケーションとは、実際に言葉として表現された内容よりも言葉にされていないのに相手に理解される(あるいは理解したと思われる)内容のほうが豊かな伝達方式であるとしています。
低文脈文化のコミュニケーションでは、言葉に表現された内容のみが情報としての意味を持ち、言葉にしていない内容は伝わらないとされています。
高文脈文化はより抽象的な表現での会話が可能であるが受け手の誤解などによる情報伝達の齟齬も生じうるとし、他方、低文脈文化では具象的な表現を行い、会話の文中に全ての情報が入っているため、行間を読む必要もなく受け手は理解できるものとしています。
もちろん、英語は低文脈文化に分類されることは間違いありません。
内容を見てみると、かなり日本語を前提に意識して書かれたのではないかと思われるくらいです。
日本語の表現で、食事の後に「テーブルをかたずけてくれる。」と言うことに抵抗を感じる人はいないと思いますが、これが低文脈文化の言語の人が受け取ると、まじめに「テーブルは重くてかたずけられません。」と返ってきます。
直訳的な翻訳はいくらできても、そのウラにある言語が持っている感覚をきちんと理解していないと真意は伝わらないということになります。
近代文明の先頭を走っている国の言語のほとんどが低文脈文化に分類されるのに対して、唯一日本語だけが高文脈文化に分類されています。
日本の中だけでのコミュニケーションにおいては、日本語だけで問題がなかったとしても、世界とのコミュニケーションにおいては単なる言語の翻訳だけでは理解されにくいことがよくわかるものとなっています。
もう一つの日本語の特徴に、言語として主に使用されている周波数帯もあるようです。
以下の表を見てください。
100ヘルツは1秒間に100回の振動をすることを表しており、その振動が音として聴覚神経に伝わることになります。
人の可聴領域は、15~20,000Hz(ヘルツ)と言われており、年を取るにつれて高周波領域が聞き取りにくくなっていくと言われています。
日本語の主な周波数領域は、他の言語に比べると圧倒的に低いうえに狭い領域に限られています。
人の言語に対する聴覚については、母語によって開発されてきており、10歳前後でほぼ固定化してくると言われています。
そして、母語として持っている言語以外の周波数の音が聞こえてもそれは言語だと認識することなしに単なる音だと認識されて、言語を司る部位である言語野以外に送られてしまうことになります。
特に、ブリティッシュ・イングリッシュとの領域の違いを見てみると、使用されている領域が全くかぶっていないことがわかります。
訓練されてない日本人には、ブリティッシュ・イングリッシュは言語として聞くことができないことになります。
それに比べれば、まだアメリカン・イングリッシュの方が聞き取りやすいことがわかるのではないでしょうか。
ここにある日本語以外の言語はすべてが、先の分類で言えば低文脈文化の言語となっています。
彼らの言語における共通する部分に比べると、日本語はあまりにもかけ離れた存在となっています。
世界とのコミュニケーションの中心は、口頭言語とならざるを得ません。
その文化は、日本の持っているものとは大きく異なります。
この違いを理解しないで、世界とのコミュニケーションはあり得ないことではないでしょうか。
私たちが気がつく違いを、彼らは気づいてはくれません。
私たちが彼らの言葉で伝えない限り、自分たちで気づくことはないのです。
まずは、私たちが彼らの言語と比べた時の日本語の特徴を、しっかりと理解しておかなければならないのではないでしょうか。
特殊であるから、イレギュラーとして無視されるのか、あるいは貴重なものとしてスポットを浴びるのかのどちらかしかないと思われます。
明らかに異なるのですから、一緒というわけにはいきません。
あらゆる場面で、起きていることではないでしょうか。
個人レベルであっても、世界との接触を避けては通れなくなっています。
しっかりとした日本の特徴を、自分たちで確認しておく必要がありそうです。
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