2014年9月11日木曜日

インプット言語とアウトプット言語

インプットするための言語とアウトプットするための言語は、異なっていることに気がついている人がどれだけいるでしょうか。

特に、日本の学校教育においてはアウトプットすることについてはほとんど学ぶ機会がありません。

専門課程や部活動などで、演劇や芸術に触れることができた人たちが、表現する力としてその一部を知ることができる程度ではないでしょうか。


幾つかの原因はありますが、日本の教育においては、インプットすることのみに重点がおかれているのが現状です。

教育の成果は、インプットのみによって蓄積された、個人の知識や経験によってのみ計られています。

社会に出てからも、知識やノウハウの習得のための自己啓発が奨励され、社会生活で本当に必要なアウトプットについて学ぶ機会はほとんどありません。

それでも社会に出たら、人に対して話をする機会は増えますので、意識のある人は自分で身につけるようにするしかありません。

インプット言語とアウトプット言語の違いに気が付いた人だけが、プレゼンテーション技術などとして身につける機会を求めて活動しているようです。


日本語の特徴のひとつに、他の言語と比べようもないほど多彩な語彙と表現の豊かさがあります。

その分だけ、日本語を身につけるだけでも膨大な時間がかかっており、アウトプットのための表現する技術を学ぶ時間がほとんどありません。

結果として、インプットをするための技術に偏った日本語を学ぶことになります。

他国の国語教育では、義務教育の低学年で言語の習得を終えて、学校教育のほとんどの期間を表現技術を磨くことに使っています。

日本の場合は、義務教育を修了しても、新聞を理解できる日本語が身についていない状況となっています。(中国も近い状況です)


多彩な語彙と表現の豊かさは言語の大きさにつながっており、同じ日本語とは言っても一人ひとりが持っている日本語は、かなり異なったものとなっています。

学校教育における知識を身につけるための言語である国語の習得を終えて、社会との接触が増えてくるとさまざまな言語環境が待っています。

その言語環境によって一人ひとりの言語がさらに大きく異なっていきます。

同じ言葉に対しても、持っている感覚が一人ひとり異なっています。


インプットは自分個人での活動です。

自分個人の知識や経験として身につけるものですので、自分でしか理解できない言語でも全く問題ありません。

思考しているのも個人として持っている言語で行っていることになります。

言語の限界が思考の限界だと言われるのもそのためです。


ところがアウトプットは、その目的が相手に理解してもらうことです。

そのためには、相手が持っている言語でアウトプットをする必要があります。

相手の理解を必要としない、日記や個人的な記録などは自分の言語でも構いませんが、相手の理解を必要としないアウトプットは、アウトプットのうちのほんの限られたものでしかありません。

アウトプットの基本は、相手に理解してもらうことと思った方がいいと思われます。


そのためには、相手がより理解しやすい表現方法を選択しなければなりません。

相手が一番理解できる方法は、相手の言語で表現することになります。

そのためには、相手の使用している言語を知らなければできません。

そうは言っても直接に、相手の持っている言語を確認できる場面はほとんどありません。

そのために、言語環境を知るために相手のプロフィールを知る必要があるのです。


どんな言語環境で育ってきたのか、どんな言語環境で仕事をしているのか、それが学歴であり経験した業界であり、仕事をしている企業であり部署なのです。

したがって場合によっては、日本語以外でのアウトプットが必要な場合が出てきます。

相手の持っている言語でアウトプットしているから、リアクションがあります。

リアクションがあるから、相手の理解度を推測することができます。


相手の持っている言語が、掴みにくい場合には、共通言語を探すことになります。

日本語同士の場合であったとしても、共通言語は存在します。

それが国語です。

人として生きていくための一番基本的な知識やルールを身につけてきた、学習言語です。


義務教育で学習言語として身につけてきた国語は、日本語における共通言語です。

共通理解をするための最適言語です。

ところが、社会生活が長くなると、その後に身につけてきた環境言語である生活語と国語の区別がつかなくなってきます。

そのために、国語の中でも一番基本的な部分での表現が必要になってきます。


それが「ひらがな」と「訓読み漢字」です。

話し言葉としてはすべて「ひらがな」として受け取ることができるものです。

母語として日本語を持ち、学習言語としての国語を身につけてきた者にとっては、ほとんど共通の理解ができる言語です。

この「ひらがな」と「訓読み漢字」を合わせたものを、「現代やまとことば」と呼んでいます。


相手の言語がわからないときや大勢の人に対してのアウトプウトにおいては、まずは「現代やまとことば」での表現を心掛けるといいと思います。

日本語の大きさを考えた時には、インプット言語でそのまま表現した場合に、はかなりの部分が相手にとっては理解しにくいことか、あるいは誤解をされることになると思われます。

その場で相手の理解内容を確認できる場合には修正がきくかもしれませんが、その場で修正が可能なアウトプットは決して多くありません。

アウトプットをする時点で、理解してもらいたい相手の持っている言語を考慮する必要があります。

相手の言語で表現をすると言うことを頭においておくだけでも、表現の内容が変わってくるはずです。

提出物や発表内容の確認は、誤字や脱字の訂正ではなく、相手の言語になっているかどうかの観点で行う必要があります。

アウトプットに慣れていない日本人は、どうしてもインプット言語で表現してしまいがちです。

特に、他の言語と比べた時に、同じ日本語であっても一人ひとりの日本語の違いが大きくなっている言語です。

言葉として同じであっても、一人ひとりがその言葉に対して持っている感覚が異なっていると思った方がいいようです。


日本語は日々使っているだけで、他の言語とは脳の働きが違うことがわかっています。

その基本は、ほぼ4歳までに取得を完了する母語にあることもわかっています。

日本語を母語に持って、学習言語としての国語を身につけ、環境言語としての生活語を使いこなしてコミュニケーションしていくことは、日本人にしかできない脳の使い方ができていることになります。


他の言語を持っている人たちとの一番の違いは、アウトプウトの質です。

教わっていないのだから仕方がありませんが、社会で生活して行くためには欠かすことができないことです。

言語のチカラはアウトプットによって完結するのです。

インプットはアウトプットをするための手段であり、目的にはなりません。


自分で身につけるしかできないアウトプットのチカラは、まずインプットとは言語が違うことを覚えておきましょう。

それだけでも、あなたのアウトプットの質がきっと変わってくるはずです。



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