(参照:気づかなかった日本語の特徴)
その中で、世界の言語の中でも孤立した言語であることも触れてきました。
文字のない時代の「古代やまとことば」においては、その成り立ちが他の言語との関係性が見出せないために孤立した言語となっていることは間違いないようです。
しかし、成り立ちを別にして、言語そのものを見ていったらどうでしょうか。
そんなことを探してみたら、面白い研究を見つけたので紹介したいと思います。
言語の区分は一般的には言葉(語彙)と文法の両面から見てなされています。
その観点から見た時に、日本語は本当に特殊な言語になっているのかどうかを検討した、国立国語研究所の所長である影山太郎博士の2010年のレポートです。
日本語が世界の言語の中でも特殊ではないという面から見た場合と、特殊であるとする場合を両方検討しているのが面白いところです。
まずは、決して特殊な言語ではないという観点から見てみたいと思います。
言語の分析においては、言葉(語彙)と文法の二面から検討をするそうです。
言葉における特徴比較として、その言語が持っている母音の数を一つの基準とするそうです。
世界の言語を調べたデータ(WALS)によると、対象となる563言語の分布は以下のようになっているとのことです。
- 少母音(2~4母音)・・・92/563言語(約16%)、アレウト語・ナバホ語・マダガスカル語 など
- 平均的(5~6母音)・・・288/563言語(約51%)、日本語・アラビア語・スペイン語・ロシア語 など
- 多母音(7~14母音)・・・183/563言語(約33%)、英語・フランス語・韓国語・ジャワ語 など
日本語と同じ漢字を使用する中国語においては、36もの母音数となっています。
調査対象となった言語の中でも、日本語の5母音体系はきわめて「平均的」なグループに属しています。
母音と子音の数は意味の弁別につながるものです。
母音を少なくして意味の弁別を高めるためには子音を多くしなければいけません。
子音を多くすることは、唇、歯、舌、口腔、鼻腔などの器官を複雑に駆使しなければならなくなり、エネルギーの負担が多くなります。
聞き取りやすさとしてははるかに勝る母音については、自然発生に近い音となっているために楽に発声できることに比べると子音を多くすることはまた生理的な負担が増えることにもなります。
日本語の音については、他の言語と比べた時に、母音の数が平均的であるだけでなく、子音の数についても「適度に少ない」と評価されています。
日本語は母音数が平均的であるだけではなく、その発音は極めて合理的であり、楽をして自然に発することができるものされています。
更に、文法的に見た場合には日本語はS(主語)、O(目的語)、V(動詞)の構文によるアプローチがなされています。
言語によって基本的な構文がどのようなものになっているかを調査したものです。
調査対象は、1056言語に及んでいます。
その結果は以下のようになっています。
- SOV型・・・497/1056言語(約47%)、日本語・韓国語・ヒンディー語・エスキモー語 など
- SVO型・・・435/1056言語(約41%)、英語、ロシア語、スワヒリ語、中国語 など
- VSO型・・・ 85/1056言語(約8%)、ウェールズ語・ヘブライ語・サモア語 など
- VOS型・・・ 26/1056言語(約2%)、マラガシ語(マダガスカル島) など
- OVS型・・・ 9/1056言語(約1%)、ブラジル一部、オーストラリア一部 など
- OSV型・・・ 4/1056言語(約0.5%)、アマゾン地区 など
この中で日本語は、調査対象の47%を占めるSOVのグループに属しています。
したがって、構文(語順)からみても、日本語は特殊であるどころかきわめて普通の言語であると言うことができます。
日本語は極めて普通の世界にありふれた言語であるということができるものです。
では、よく言われている日本語の特殊性と言うのはどこからきていることなのでしょうか。
これはひとえに、言語の発展・伝達の系譜からだけ見た結果にしか過ぎないのです。
つまりは、漢語導入の前に存在していた「古代やまとことば」の起源がわからないだけのことなのです。
更に、漢語を利用して「古代やまとことば」を表記する独自の文字である仮名を生み出してしまったことの必然性が見つけられないだけのことなのです。
言語の成り立ちでグループ化しようとしたときにはめるべきグループが見つからなかったので、孤立した特殊言語とされているにすぎません。
ここでは,文法および発音の基本的要素について日本語が特殊かどうかを検証してみました。
その結果,少なくともこれらの現象に関する限りでは,日本語は通俗的に考えられているように「特殊」なのではなく、むしろ逆にごく普通のありふれたタイプの言語であることが分かるのではないでしょうか。
しかも,その「ごく普通で,ありふれている」という性質は、決して偶然の産物ではなく人間の心理的・生理的制約に即した極めて自然な結果であると言えるのではないでしょうか。
更に、日本語がこのような「中庸」の、すなわち「極端でない」性質を備えていることは他の研究でも見ることができるようです。
日本語をごくありふれたタイプにする要素は、言語の骨格を構成し、それなしでは言語が機能しないような要素です。
これらは認知的・生理的・生物学的基盤に依拠する要素であり、「自然さ,普通さ」を説明するための合理的な理由になりうるものです。
このあたりが、「日本語を母語として持っている者は、いつからでも他の言語が使えるようになる。」と言われる原因なのかもしれません。
言語としての基本的な部分が、世界に存在する言語の中でもきわめて標準的なポジションにあることは、日本語を母語として持つ私たちからすると大きなメリットをもたらしてくれます。
他の言語との接触場面においてはきわめて標準的な立場をキープできることになります。
しかも、一対一ではなく複数言語の中にあっては、どの言語に対しても標準的なポジションを取ることができることになります。
簡単に外国語を取り込むことが可能な言語であり、きわめて造語力に富んだ言葉を持っており、基本形の締め付けの厳しくない自由な構文を持つ言語である日本語は、他の言語へ合わせての対応すら可能なものとなっています。
ひょっとすると世界最強の言語は、日本語ではないのでしょうか。
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