後になって思えば、思い出話としてできるようですが、感受性が強い時期に自分のアイデンティティの崩壊のような感覚を持ったそうです。
父親がフランス人であり、母親が日本人である彼女は、フランスのパリで生まれました。
3歳の時に家族で来日して以来、神戸市で小学校時代を過ごしますが、6年生の時に再び渡仏します。
想像するに、母語はフランス語で、国語は日本語で持っているのではないでしょうか。
純粋なフランス人でもなく、純粋な日本人でもない、どちらから見ても中途半端なものだと感じられて、「ハーフ」という言葉に対しても嫌悪感を持っていたようです。
彼女を立ち直らせたのは、友人の一言だそうです。
「ハーフじゃなくてダブルじゃん」という一言が彼女の琴線に触れたのです。
日本語の感覚を持っている彼女にとっては、「半分ではななくて、倍である」と受け取ることができたようで、「ダブル」という言葉に大きな勇気をもらうことができたそうです。
「ダブル」という言葉の響きさえもが、自分に自信を与えてくれるように響いたと言っています。
そのことを指して「ことだま」とも言っていました。
その昔の研修で、グラスに半分の水が入っている絵を見せられて、その水の量をどのように表現するかという問いがありました。
日本語にすると「半分」で片付いてしまいますが、英語で表現したときにポジティブとなるかネガティブとなるかを試された記憶があります。
「half empty」と言うのか「half full」と言うのかという問題でした。
理屈では理解できましたが、どっちかという二者択一の問題にすることはおかしいと感じていました。
今では、そう感じる理由も説明が付きますが、その時はよくわからないままに講師とやりあった記憶が残っています。
論理として、同じ絵に対して「half full」を選ぶように、ポジティブな見方をしましょうというのはわかります。
そこで二つの選択肢を用意して、どちらかを撰ばせることに抵抗を感じていたのです。
用意された選択肢だけでなく、もっとたくさんの見方ができるだろうと考えたいた私は、その時のことがほとんど記憶として残っていないのです。
そう考えた瞬間から、興味の対象ではなくなっていたんだと思われます。
「ハーフ」はかなり日本語化している外来語です。
混血の人を「ハーフ」と呼ぶのも、外来語としてきているのではないでしょうか。
日本語としての「ハーフ」には、頭に必ず「フル」があって、その半分という意味があります。
したがって、「フル」に対して「半分足りないもの」と言うイメージが付いています。
英語における感覚にそんなものがあるかどうかはわかりませんが、日本語として使われる「ハーフ」には足りていないという感覚が含まれていることがわかります。
英語で混血の人のことを「half」と呼んでいる感覚に、英語話者同士の間では日本語での感覚を持っていないとしたら、なおさら違和感を感じることになります。
つまり「half」と「ハーフ」は極めて近い意味を表してはいるものの、その感覚はかなり異なることになります。
「ハーフ」か「ダブル」かは、先ほどの二者択一とは大きく異なります。
同じ次元で二つが並んではいません。
「ハーフ」という言葉が持つ感覚に対して、同じように混血を意味することができて、足りないというニュアンスを払しょくできる言葉を探した結果が「ダブル」なのです。
「ハーフじゃなくて、ダブルです」と人に言ったら、「?」となる人が多いかもしれません。
しかし「ダブル」について説明することによって、何故「ハーフ」と言わないのかをわかってもらうことができます。
それと同時に、「ダブル」という言葉を見つけて選択した自分の感覚をわかってもらうことができます。
自分がどういう感覚を持って、言葉を選んでいるかを知ってもらうことは、自分自身を知ってもらうためにとても役に立ちます。
一般的に使われている言葉であっても、その言葉が持っている感覚を尊重しながら、自分なりの解釈を加えて使っている言葉はきっとあるはずです。
自分がその言葉を使っている感覚と同じような感覚を持って人であれば、すぐに友達になれそうではありませんか。
自分を紹介するときに、そんなキーワードがあるといいですね。
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