2014年8月22日金曜日

言語技術教育について

言語技術とは、思考を論理的に組み立て,相手が理解できるように分かりやすく表現すること・・・(つくば言語技術教育研究所)とあります。

言語技術教育の必要性については、教育関係者でけではなく海外と接触することがある人からは頻繁に指摘されていることです。

人として社会生活を営んでいく上において必要な基礎技術であると同時に、国際社会で日本人が自らの意見や主張をしてくために欠かすことができない技術だからです。

それにもかかわらず、学校教育において言語技術に関する教育はほとんど行われていなのが現実です。


欧米先進国では、言語技術教育が国語教育の中心となっており、国語教育の目的そのものが「社会で生きていくための言語技術を身につけること」にあるからです。

先進国の中で言語技術習得のための教育が行われていないのは日本だけだとも言われています。

その理由にもさまざまことがありますが、一番大きな理由は日本語という言語そのものが大きすぎて身につけるのに膨大な時間がかかることが挙げられます。


「社会で生きていくための基礎知識と技術」を身につけることは義務教育の目的となっています。

それにもかかわらず、義務教育終了時点の国語教育では新聞を読むことができるところまでもいっていないのです。

中学卒業時点では、2136字の常用漢字のうち1600字程度までしか習っていないことになっています。

専門用語は別にしても、一般的な情報としての新聞情報に対しても、読むことすらできないことがあることは大きな問題ということができるでしょう。


言語技術と言うと、言語と使って表現することだけを考えがちですが、最初の一行にあるように言語技術とは知的活動そのものを支える技術なります。

知活動のための唯一の道具が言語であることを考えれば、当たり前のことを言っているにすぎません。

知的活動のレベルや効率を高めるためには、言語技術を磨くこと以外に方法がないのです。


知的活動における三つの主な活動が身についた後は、言語技術を磨くこと以外にこれらをレベルアップすることはできません。
(参照:知的活動と言語について

しかし、日本の国語教育においては、三つの知的活動のうちの表現活動に対する基本的な教育に大きな欠陥があり、他の二つの認知活動・思考活動と比較すると基礎力が圧倒的に低いものとなっています。

したがって、日本語の国語教育を受けてきた人にとっての言語技術の習得のスタートは、表現活動のための言語技術を集中的にやる必要があるのです。


わかりやすく言いますと、表現をするための場と経験が圧倒的に足りないということになります。

したがって、これを指導できる人も圧倒的に少ないことになります。

気づいた人が自分で習得していくことしかできないのが現実なっています。


日本人の知的活動のレベルの高さは、圧倒的に認知活動と思考活動からきています。

つまりは、インプットすることと自分の頭の中で考えることのレベルが高いことになります。

これは、国語教育をはじめとして他の教育も徹底的に知識を植え込み、その知識を利用して思考することを繰り返し経験させてきたためであり、当然の結果ということができます。

発表の場や試験において評価されるのは、どんな知識を持っているのかが中心となっています。

その結果が数値化されたりして、優劣がつけられていきます。


その場でどのような表現をしたらいいのか、どういう主張をしたらいいのかはほとんど評価されることはなく、決まった形式の枠にはまったものである、ある種の正解をはめられれるかどうかで評価が決まっていきます。

したがって、そこでは現実に何ができるのか、何をやり続けているのかということよりも、どんなポテンシャルを持っているのかの方に重きが置かれることになります。


日本人が早くからやらなければならいことは、個人としてアウトプットすることに慣れることです。

知的活動の中の表現活動を意識して、徹底的に経験を重ねることです。

インプットがあり思考活動がなされないと、個人としての主張を持ったアウトプットはできません。

しかし、私たちはいやになるほど知識のインプットを経験し、思考の経験を積んできています。

表現活動としてのレベルを、他の二つに合わせるためには、新たなインプットは必要ありません。

今まで持っている内容で十分なのです。


インプットや思考を中断してでも、徹底的にアウトプットをしてその反応を獲得することが必要になるのです。

そこで批判に晒されて、さらに次のアウトプットを磨いていくことの積み重ねが必要なのです。

次のアウトプウトするためには、インプットと思考が必要になります。

認知活動と思考活動はその分だけで十分なのです。

アウトプウトをするために、他の知的活動をフル稼働させるのです。


気づいている人たちはとっくにはじめていますね。

SNSやブログやメルマガは、もちろん自己アピールや広告としての利用もありますが、批判やコメントを得るための格好のアウトプットのステージであることに気がついているのです。

人前で話すことが、販売やセミナーや講演であってもアウトプットとしての表現活動としての言語技術を磨く場とわかっているのです。

それを意識してやっているだけで、同じことをやっているようでも全く効果が違っているのです。


もちろん、友達を増やしたり、何かを販売したりすることを目的としているものが多いことも事実です。

しかし、個人として人から意見をもらえるアウトプットの場が目の前に広がっているのです。


知的活動として私たちが持っている、認知活動と思考活動における能力は世界的に見てもかなり高いレベルのものです。

学校教育の間はこればかりやってきましたし、社会に出てからもほとんど変わらなかったのではないでしょうか。

世界の他の国の国語教育とそこにかけている時間が異なりますので、当たり前のことなのです。


その分、圧倒的に表現活動における経験が不足しているのです。

国全体で不足していますので、当然のように指導者も不足しています。

学校教育で取り組むことは、今までの知識習得と思考活動の成果を少しは失うことになってしまいます。

恐らくそんな取り組みはできないでしょう。


言語技術については、まずは表現技術を磨くことに専念すべきではないでしょうか。

表現技術を磨いている過程が、他の知的活動における言語技術も磨くことにつながっているからです。


欧米の国語教育における言語技術の習得カリキュラムには、その国の文化や歴史が色濃く反映されています。

アメリカにおける自己主張と説得術を中心としたディベートや、イギリスにおける全員で演劇を作りあげることで磨くさまざまな表現技術もあります。

世界と向き合うには、彼らの論理に立った主張を彼らにわかる方法でしなければなりません。

しかも、そこに日本としての独自の文化に根差した主張が必要になってくるのです。

そのために、日本語でしっかりと表現できることが一番大切になってくると思われます。


日本語を母語として持っている者は、日本語で表現することが一番適切な表現ができるに決まっているのです。

中途半端な外国語による自己主張は、彼らから見ると何を言っているだかわかりません。

ですから、自己主張なき外国語はいくらでも使えばいいのです。


世界に対して主張すべき時は、日本でしっかりと表現することが一番ですね。

外国語を学ぶ前にやらなければならないことがたくさんあると思いますが・・・




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