文字を持っている言語は、そのうちの2割程度と言われています。
更には、4割程度は話者が1000人以下の小言語となっています。
また、今から1~2世代のうちに話す人がいなくなると言われている「消滅の危機にある言語」は、すべての言語の半分以上がこのカテゴリーに属しているとされています。
言語としては、母語だけを使っていれば世界の文化的な恩恵のすべてを享受することができる大言語の社会もあれば、母語だけでは十分な文化的なサービスを受けることができずに、第二言語、第三言語の併用を余儀なくされている社会もあります。
後者の場合は、子どもたちが親の言語を母語として受け継ぐ機会が確保されないために、より勢力のある近隣言語に同化していくことになります。
大言語による社会に生きている者からみれば、歴史文化的なものとして、小言語を残そうと考えるかもしれませんが、現実の小言語の社会においては生死にかかわる問題となっているのです。
以下の言語が世界における10大言語と言われるものですが、言語のこれからを考えた時にはどのような変化が起きてくるのでしょうか。
言語の一つの目安として、国連の公用語と言う基準があります。
英語、ロシア語、中国語、フランス語、スペイン語、アラビア語、の6か国語が国連の公用語となっています。
第二次世界大戦の戦勝国が、その後の国際運営をするために作った機関が国際連合ですので、敗戦国の言語である、ドイツ語、イタリア語、日本語は国連公用語になるわけがありません。
また、スペイン語とアラビア語は戦勝国とは関係ありませんが、国際的に重要な言語として加えられたものとされています。
スペイン語が国連公用語になった一つの理由については、このブログでも述べていますので参考にしてください。
(参照:戦勝国ではないスペイン語が国連公用語のわけ)
各国には、公用語として主に法律によってその国での使用言語として定めた言語があります。
英語を公用語として定めている国は、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、サモア、などを中心とした約80か国にのぼります。
日本は、日本語を公用語して定めた法律はありませんが、実態として日本語が公用語となっています。
また、パラオのアンガウル州においては州の憲法で日本語が公用語して定められていますが、実際には公用語として使用されてはいません。
10大言語の中でも、三つの区分に分けることができます。
一つは、英語やフランス語のように数多くの国で公用語として扱われており、国を越えた影響力の大きな言語です。
もう一つは、ヒンディー語やベンガル語などように、使用されている国はほとんど一つと言ってもいいくらいですが、その中で方言的に地域によって限定されている言語です。
これは、国としての人口がとてつもなく多く、方言としての話者人口だけでも通常の一国に相当するような場合です。
中国語は、さらに細かい区分を見ていくと、同じことが言えることになります。
そして三つ目は、一国のみで使用されているうえに、他の言語との共通性が極めて少ない言語です。
これが、日本語や中国語になります。
中国語を公用語として指定している国は、中華人民共和国、中華民国(台湾)、シンガポールの3国になりますが、大雑把には一つの国と言ってもいいのではないでしょうか。
それでも10億を超える人口を持つ中国は、その経済発展に伴う国際影響力の拡大によって言語としての影響力を広げています。
国連の公用語としての地位は、それに拍車をかけていることでしょう。
世界のエネルギー源としての重要性から、国連公用語に加えられたアラビア語のようにその地位は国際的に安定したものとなっています。
同じような傾向はこれからのインドにおいても見られるのではないでしょうか。
よく見てみると、いろいろな観点からみても日本語の位置付けは極めて特殊となっているのではないでしょうか。
新興の経済発展国ほどの世界に対する影響力はなくなっています。
実質的に日本においてしか通用しない言語です。
世界で影響力を発揮しようとすれば、自分たちの母語では通用しない言語です。
しかも、かつてのような世界に対しての経済的、文化的な強烈な影響力を持っているわけではありません。
中国語と共通していることですが、他の言語と比較すると身につけるのがとんでもなく難しい言語です。
中国語と日本語の大きな違いは、中国語が国連の公用語であるということです。
強制力を持たないこともありますが、世界における国際間の紛争における唯一の調整機関である国連において、自分たちの母語でニュアンスを伝えることができることは常任理事国としての立場と同様に、とんでもないメリットとなっています。
日本の世界に対して発揮する影響力は、経済の分野においては終了しました。
外交の分野においては、他国の足元にも及びません。
国連の公用語でもなく、世界の国において一国たりとも公用語扱いのない日本語はどこへ行くのでしょうか。
使用する日本人の人口は減っていきます。
世界の共通語としての、英語を母語にしてしまった方がいいのでしょうか。
母語として、日本語を持っていることの特徴をもっと知っておくことが必要ではないでしょうか。
それは、メリットとして出ることもあれば、デメリットとして出ることもあるはずです。
場面によっては両方が顔を出すこともあるでしょう。
日本人を日本人として特徴づけしているのは、母語として日本語を伝承してきているからです。
世界の他の言語と、一番遠いところにある日本語は、世界のなかで特殊な日本人を作っているものです。
日本人らしさというモノがあるとすれば、それを作っている元は伝承言語である母語としての日本語の役割が大きいはずです。
将来的に世界的な環境を見た時に、日本語を身につける必要性はあるでしょうか?
母語として日本語を持っている私たち自身が、その意義を見つけていかないといけないのではないでしょうか。
母語は文化ものです。
第二言語として身につけた言語では、文化は伝承されません。
世界の言語から見たら、日本語は存在し続けることがとても難しい言語となっています。
世界に対して、日本の日本人の価値を認めてもらうことが日本語を存続することにつながります。
まずは、自分たちがしっかりと、日本と日本語を自分の価値観で発信できることが大切ですね。
今までは、放っておいても母語としての日本語は継承されてきました。
幼児期からの英語習得の流れは、ますます激しいものになっていくでしょう。
日本語の継承と存続を、本気で考えるタイミングが来ているのかもしれないですね。
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