2014年8月14日木曜日

知識が気づきの邪魔をする

きちんとした規格やルールがある世界では、それらを守るために知識が必要になります。

守るための知識がなければ、その世界で活動することすらできなくなります。

ところが、どんなに厳しく企画やルールを定めたとしても、規定できないことが出てきます。

ルール違反と新方式は紙一重と言われるところですね。

そこが人の感性の発揮場所や、差別化や面白さにつながるところだと思われます。


その世界で活動するための、守るべきものがありそのことを知らずに活動すると、ルール違反として罰を受けることになります。

したがって守るべきものを知識として持っておく必要があります。

具体的な内容については、理解していなくとも企画やルールの存在と調べるための知識は持っていなければなりません。


人が生きていくためにも、生活をしていくためにも必要な知識があります。

さらには、どこかの分野において専門性を求められる場合には、その分野についての知識も必要になります。

人は、様々な分野にまたがりながら生活をしていますので、様々な知識が必要になってきます。

人が生きている世界が、どんどん細分化されてしかも専門化していきますので、身につけなければならない知識もどんどん増えていきます。

新しい技術や考え方がどんどん現実化して、実生活に取り込まれてくると、その便利さを使いこなすための知識が必要になってきます。


義務教育においては、人として生きていくための最低限の知識を身につけてきました。

高等教育においては、細分化された専門性の知識を身につけてきました。

社会に出てからは、社会で生き抜いていくための知識を身につけてきました。


ため込んだ知識は、自分の行動のための基準であり、一種のブレーキでもあります。

よく言われる、既成概念や固定概念とは、ため込まれた知識に他なりません。


誰かによって定められた世界や、分野の中での活動に終始している場合には必要のないことかもしれません。

しかし、時として創造性や革新性が求められ、今の環境を変化させることが求められます。

外部の力によるときもあれば、自らの意志によるときもあるのではないでしょうか。

そのために人は、全く知らない分野の人の話を聞いたり、書物を読んだりします。

それも知識の一つとして取り込むことになるのですが、そこで求めていることは創造性や革新性を生み出すための気づきや刺激ではないでしょうか。


今までの知識の枠中で活動していたのでは、今まで以上の結果が出せないことがわかってきました。

環境の変化が、同じ行動に対して同じ結果を保証してくれなくなってきました。

より良い結果を出すためには、今までと違った行動をしなければならないことがわかってきました。

しかし、どんな行動をしたら求める結果が得られるのかは、誰にもわからないこととなってきました。


変化することを恐れて、既存の知識の中だけで活動していたら、現状維持が不可能なことがわかってきました。

現状を維持するためには変化しなければ維持できないことがわかってきました。

変化するということは、より良い結果を得ることもあれば、期待した結果を得られないこともあります。

それでも、変化しなければどんどん下がっていくことは明らかになってきました。


結果はどうあれ、変化しなければならない環境に追い込まれているのです。

既存の知識や、固定概念での活動は望む結果に結びつかないことがわかってきたのです。

より良い結果を出し続けるためには、常に変わり続けなければならないことがわかってきました。


さあ、変わるための気づきをどうやって見つけていきましょうか。

同じ人の話を聞いても、同じ書物を読んでも、気づきのある人とない人がいます。

その気づきで大変革を起こして大きな結果を手にする人もいれば、知識として持っただけで何も行動できない人もいます。


ポイントは人の話を聞いたり、書物を読むときの取り組む姿勢にあります。

全く自分の知らない世界の、しかもわかりやすい内容であれば、興味を持って取り込むことができるはずです。

しかし。現実にはほとんど役に立たない内容になるでしょう。


やはり、いくらかは現実に取り組んでいる内容とかかわりのあるものを求めるのではないでしょうか。

すると、すでに何らかの形で自分の中に知識として取り込まれているものと同じであったり、似通っていたり、あるいは反対であったりする内容に触れることになります。

この時の受け取り方がポイントになります。


「これは、知っているよ。」や「それ、違うよ。」や「そこは、この間聞いたよ。」などが、浮かぶとその内容についての受け入れを脳が拒否してしまいます。

しかも、いったんこのことが働きだすと、そのことについての周辺領域についても拒否反応が起きてくるのです。

持っている知識が、新しく触れるものを拒否することが起きるのです。


全く同じことは何一つないのに、すでに持っている知識や経験を優位に置いてしまうことが起きるのです。

刺激や気づきとしての機会を失ってしまうのです。


同じ現象であっても、人による表現や感性によって異なった知識や刺激となることは山ほどあるのです。

同じ現象であっても、人が違えばその捉え方も知識としての内容もすべてが異なることを知っておくことが大切になります。

自分が何を求めて、人の話を聞いているのか、書物を読んでいるのかを確認することが大切です。

発想から行動に結び付ける刺激や気づきを求めているばあには、今までの知識をすべて捨てて受け入れることが大切になります。

知識を持っていることが、気づきの妨げになるのです。


知識は行動・アウトプットのためにあります。

行動はよりの望むことに近い結果を得るためにする活動です。

どの行動がより望む結果に近くなるかについては、答えはありません。

過去に全く同じ状況があったとしても、環境が変わっている以上は同じことをやっても同じ結果にはなりません。

変化をしなければ安定は手に入らなくなったのです。

固定化したやり方では望む結果が出ないのと同じことです。


どの行動が一番望む結果になりそうかを選択する基準が知識です。

単なる確率の問題です。

直近の経験から来た知識があれば、かなり確率が高いことになります。

しばらく前の本から得た知識であれば、相当に低い確率になります。


一番確率が高いのは、直近に同じような経験を何度もしていることによって得ている知識による判断です。

次は、同じように直近に何度も近い経験をしている人による判断です。

自分の持っている固定した知識よりも、確実に確率が高くなります。


人の知識が活用できるかどうも、自分雄既存の知識が邪魔をします。

自分よりすごい人の経験に基づく知識を使えるかどうかは、結果が大きく変わってくる要素になります。


基本的に知識は人が生きていくために欠かせないものです。

しかし、その知識が妨げとなったり邪魔になったりすることがあることを覚えておいてください。

しかも、かなり重要な場面で無意識に邪魔をしていることがほとんどです。

既存の知識で役に立たないことがどんどん増えている時代です、迷っているよりもとにかく行動して、修正してまた行動していくありません。

その結果を少しでも望むべくことに近づけるために、行動の選択肢を選ぶ確率を高めなければなりません。

昨日と同じ行動は、昨日と同じ結果にならないことをしっかりわかっておく必要がありますね。





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