学習言語の習得前に他の言語に触れることは、学習言語の習得そのものを阻害することもわかっています。
人の言語は、以下の3つからできています。
母語・・・幼児期期に母親や家族から伝承される伝承言語。
国語・・・義務教育において社会生活ができるためのルールや知識を身につける学習言語。
生活語・・・社会での様々な生活の必要によって身につける環境言語。
一般的に言われる第一言語は、母語と国語によって作られていきますが、言語のよってその習得の期間が異なります。
フランス語、同津語、英語などは小学校の2年生ころには、基本的な学習言語の習得を完了して、様々な知識や言語表現を身につけるようになります。
一方、中国語や日本語は、小学校の6年間を終了しても社会で通用する言語が身についていません。
中学校を卒業しても、日刊紙の記事が理解できないことも多々あります。
それでも日本語の学習においては、小学校の4年生で基本的な習得ができるカリキュラムになっているとして、小学校5年生より学国語活動しての授業が導入されています。
この外国語活動を小学校3年生から実施しよういう実験が始まっていますが、日本語習得に対する影響が考慮されていない点が心配です。
バイリンガルの養成は、思考したり表現したりすることのできる言語がしっかり定まってからでないと、あまり意味にあるものにならないことがわかっています。
単に2種類の言葉を使うだけならば、幼児でも可能ですが、言語の最大の目的である知的活動に役立つものになっていなければなりません。
そのためには、知的活動の認知活動、思考活動、表現活動を、あるレベルで行うことができる言語としての第一言語を持っていなければなりません。
バイリンガルは翻訳活動であることがわかっています。
基本的な知的活動は第一言語でしかできません。
慣れてくると簡単な知的活動は、第二言語でもできるようになりますが、その質においては第一言語に適うものではありません。
また、第一言語でできる知的活動がその人の知的活動の限界になります。
その人の持っている第一言語のの限界が、その人の知的活動の限界となるのです。
一言でバイリンガルと言ってもそのレベルは無限にあります。
しかし、少なくとも相手と知的な会話をするレベルを求めるのであれば、まずは第一言語で人並み以上の知的活動ができている必要があります。
母語と国語を同じ言語で習得していき、義務教育期間を同じ言語で過ごすことが基本になります。
この間に、言語の変化がある環境になった場合には、子ども自体はその変化に慣れようと努力するだけしかできませんので、周りが注意を払ってあげる必要があります。
ずっと、母語から国語と同じ言語で育ってきている周りの子どもたちとは、必ず異なった言語感覚になっていくからです。
場合によっては、子ども自身がその違いに悩むこともありますし、知らない間に周りと距離を置いてしまうこともあります。
子ども自身で原因がわからずに日々を過ごしていきますので、言語感覚のズレを理解したうえでの周囲のサポートがとても大切になってきます。
一昔前には、母語の存在や国語の役割がよくわかっていなかったので、小学校の途中で言語が変わってしまった子どもは、よくいじめの対象になったりしていました。
親や先生も、対処の方法がわからなかったこともあって、結果としてどちらの言語についてもおかしな感覚になってしまったことがありました。
バイリンガルは翻訳活動ですので、知的活動になります。
第一言語でおこなうのが理想的になります。
第一言語は、第二言語よりも大きな言語であるほうが効率のいい翻訳活動ができます。
日本語は世界で一番大きな、懐の広い言語だと言われています。
どんな言語に翻訳する場合でも、すでに日本語の段階でその言語に翻訳しやすい形にすることができます。
こんな言語は日本語だけだと言われています。
文法の規則が緩く、表現の仕方が豊富にあるので、翻訳する対象の言語にしやすいように、日本語の方を合わせることができるのです。
そのためには、日本語を使ってかなりレベルの高い知的活動が要求されるのです。
バイリンガルの第二言語の対象としてのあらゆる言語に対して、日本語を第一言語として持っていることはとても効率のいい翻訳ができることになるのです。
この翻訳活動に慣れてきて、効率のいい翻訳活動ができるようになっているのが、バイリンガルの状態だと言えるのではないでしょうか。
わかりやすい言い方をしますと、第一言語による頭の良さがそのまま第二言語を使いこなせるレベルに直結するということにでもなるのでしょう。
第一言語の習得段階で、第二言語の学習を入れてしまうと、どこに出るかはわからないのですが、必ず第一言語の習得への影響が出るようです。
特に、言語感覚のところに出てくると、同じ言葉やいい方についての理解のニュアンスの違いとなって現れてきて、周りと異なった感覚を持つことになってさまざまな場面で影響が出てくることになります。
バイリンガルのための基礎言語としての日本語は、ある種理想の第一言語なのですが、その習得にかかる時間がとてつもなくかかるものとなっています。
しっかりとした日本語を持ち、使いこなしていることは、他の言語よりもバイリンガルとして潜在力が高いことになります。
これは世界のあらゆる場面で認められており、日本人の外国語対応の優秀さは世界でも注目されていることです。
しっかりとした日本語を習得するためには、義務教育だけでは足りていません。
環境言語のなかで磨かれていって初めて表現する力がついてくるのです。
学校教育では、言語を習得することしかできておらず、言語を使っての表現力の技術については、世界で一番遅れているといってもいいと思われます。
それだけ習得するのに難しく、時間のかかる言語だと思ったらいいと思います。
そこまでして身につけた日本語は、ある意味では、人の持つ基礎言語としては理想的な言語です。
母語として、国語として、生活語として日本語を持っていることがどれほど素晴らしいことかを知る機会はあまりありません。
一般生活の中で、他の言語と比較する機会はほとんどありません。
個人すらが、簡単にネットのなかで世界と触れることができるような時代になってきています。
日本語による豊かな表現は、これからの大きな力になっていくのではないでしょうか。
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