2014年7月15日火曜日

日本語も海外で通じるぞ!

日本語は、使っている文字こそその一部としての漢字が中国語と共通していることはありますが、世界の他の言語との共通性はほとんどありません。

ましてや、漢字は文字で書いた方がしっかり意味の伝わる表意文字(表意言語)ですが、世界の他の言語はそのほとんどが話し言葉の方が意味の伝わりやすい口頭言語(表音文字)となっているためさらに共通性が少なくなっています。

そんな中でも、世界で活躍している日本語があります。

いろいろな分野の言葉ありますが、何らかの意味で日本自体が世界における知名度を上げていった結果によって通じる様になったということですね。


世界との交流が本格的に始まったのは、明治維新からということができると思います。

このころの日本は、海外で取り上げられた内容では、野蛮人の国として紙と木の家に住む布地を巻きつけた服を着た昔の文化の国というイメージです。

富国強兵政策で軍事力をつけ始めて、日清日露戦争あたりから世界に認知され始めたところではないでしょうか。


太平洋戦争後の朝鮮戦争特需以降の経済発展は、それこそアジアの端っこの小さな島国が成し遂げたミラクルとして総合商社の機動力とともに世界に知られるようになりました。

急激な発展はそれによって犠牲にしたものも決して少なくはありませんが、これによって世界からも一目を置かれる国となったことは間違いのないことです。


この世界が驚嘆するような経済発展があったからこそ、日本における様々な面にも世界の目が向くようになってきたと言えるのではないでしょうか。

単なる文化や技術だけの発信に終わっていたら、ここまでの世界認知はされていなかったでしょう。

アメリカに次ぐ経済力世界第2位になった国が、第2次世界大戦の敗戦国であり、世界地図で見たらどこにあるのかわからないくらい小さな国であることが更なる興味を引きつけたのではないでしょうか。


やがて、小さくてしっかりしていて品質の高く価格の安いものが、ジャパンの象徴として世界を駆け回ることになります。

これらの知名度が、民族や文化芸術に対する興味を引き起こしたのでしょう。


「KAMIKAZE」(カミカゼ)や「GYOKUSAI」(ギョクサイ)は今でも通じる日本語ですが、戦時中の言葉とはだいぶニュアンアスが変わってきています。

スポーツでの勇気あるプレーに対して使われる「KAMIKAZE」はある種の敬意を持って使われている言葉でもありますし、無謀という行き過ぎを表す言葉としても使われることもあります。

言葉の伝わった順番としては、軍事関係の言葉、経済関係の言葉、そして文化関係の言葉の順になっているのではないでしょうか。


「SOGO-SHOSHA」(ソーゴーショーシャ)、「KAIZEN」(カイゼン)、「KANBAN」(カンバン)などは経済成長の証のようなものですね。

「NINTENDO」(ニンテンドー)はもはや社名ではなく、テレビゲームを表す一般名詞化しています。

やがて、「ZANGYO」(ザンギョー:残業)や「KAROUSHI」(カロウシ:過労死)など、経済発展の負の遺産のような言葉まで有名になって、通用するようになりました。


文化芸術でも、食文化についてはあまり社会的な環境に左右されることなく取り上げられていきました。

「SUKIYAKI」(スキヤキ)、「SUSHI」(スシ)、「TENPURA」(テンプラ)はもはや世界言語と言えるでしょう。

「MISO」(ミソ:味噌)、「TOFU」(トーフ:豆腐)、「DASHI」(ダシ:出汁)、「SAKE」(サケ:酒)なども定着してきていますね。

さらには、「RAMEN」(ラーメン)、「BENTO」(ベントー)なども通用する言葉となっています。


文化面では何と言っても、「KARAOKE」(カラオケ)ですね。

「Yesterday, I karaoked with him.」(昨日、彼とカラオケに行った)と動詞でも使われるほど定着した言葉となっています。

「MANGA」(マンガ)、「OTAKU」(オタク)、「BONSAI」(ボンサイ)、「IKEBANA」(イケバナ)なども英語に限らず世界で通用する言葉ですね。

伝統文化では、「UKIYO-E」(ウキヨエ:浮世絵)、「WAKA」(ワカ:和歌)、「HAIKU」(ハイク:俳句)なども定番となっています。

最近では「KOSUPURE」(コスプレ)がどうやら入り込みそうですね、もともとは日本語ではないと思うのですが、和製漢語に続く和製外来語として逆輸出するようになっていくのでしょうか。


詳しく見ていくと、なんとなくただのはやり言葉ではない文化的な環境の裏付けを感じるのではないでしょうか。

「OTAKU」は発信元である私たち日本人が使っているよりもずっと肯定的なニュアンスが強く、むしろ専門家に近いような感覚である種の敬意を込めた褒め言葉として使用されているようです。

日本語は文法面では世界の他の言語とはかけ離れた存在となっていて近寄りにくいものになっているにもかかわらず、これだけの日本語が世界で通用していることは素晴らしいことではないでしょうか。


私たちが、他国のことで目を引かれるのは、戦争や軍事的な国際問題が大きくあるのではないでしょうか。

商品や技術的に優れたものにも目が行くかもしれません。

しかし文化的なところまで興味を覚えてそのことを知ろうとするには、かなり深く追求していかないと感じないことではないでしょうか。

特に先駆者と言われる人たちは、情報も少ない中で自らの手で模索していかなければなりません。


現在、日本語がこれだけ世界で通用するようになっています。

どこの国際機関でも日本語が公用語となっているところは聞いたことがありません。

でも、世界ではこんなに日本に関心を持っている人たちがいるのです。

しかも、今やその中心は文化的なことへとどんどん移ってきているのです。


もっといろいろなことで、世界がより良い方向へ行くためのサポートができるのではないでしょうか。

世界各地の本当に不便なところで、現地に溶け込んで活躍している日本人がたくさんいます。

そんな人たちに話を聞くと、本当にうれしくなりますね。

もっともっといろいろな日本語が世界に広まっていくようにしたいものです。




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