義務教育を中心とした学生時代に、「国語」として学ぶ学習言語が唯一の共通語と言うべきものとなっています。
人の持っている言語は、「母語」「国語」「生活語」の3つから成り立っていますが、知的活動の種類によってはこの3つが混ざりながら使用されています。
知的活動と言語の関係については知的活動と言語についてで7回にわたって書いていますので参考にしてください。
(参照:知的活動と言語について(1))
「母語」は半本能的に幼児期のコミュニケーションのために、母親や家族から伝承的に受け継ぐ極めて個人的な言語です。
また、「生活語」は主に社会生活における環境によって、後天的に身につける自分の置かれた社会環境に適応するための環境言語で、一般的には通用しない言葉がたくさん含まれます。
唯一、「国語」だけが使用法や言葉の意味を規則に基づいて学習した、日本人に共通のルールに基づいた言語となっています。
社会生活が長くなるほど、環境言語による影響が強くなっていきますので、環境言語だけで生活が終わってしまうことなどが起こったりします。
すべての社会活動は、最終消費者や最終使用者、最終サービス需要者によって完結しますので、一般社会との関係なくしては成り立ちません。
特殊な閉鎖的な環境である、研究所や役所の本省の中だけで活動している人であっても、一歩外に出てしまえば一般消費者です。
このことを忘れてしまっていることがよくあります。
最後の提供先は一般消費者であり、一般生活者であり、自分自身もその一人であるのに、一番大切な生きている環境を忘れてしまって、きわめて特殊な仕事や業務上の環境を中心にしてしまいがちです。
すべての経済活動は一般生活者へのサービスや商品や情報の提供によって成り立っているのに、分業化されてしまった経済活動では特にB to Bの世界では、このことを忘れがちになってしまいます。
自分が報酬を得るために行っている活動が、きわめて特殊な世界での活動であることを忘れてしまうのです。
そこでの活動自体は、その環境での言語だけで完結してしまうことがあるからです。
しかし、常にそれだけで活動していたら、やがては社会から受け入れられなくなることは明白です。
より広い一般社会との接触は、企業活動においてもとても重要なものとなっています。
その中の組織の歯車の一つとして活動している時間が多すぎると、企業を出てから不幸が訪れます。
一般社会で生きていくことができなくなったり、対応できなくなっていたりしてしまうのです。
企業活動の中でも、業界が違ったり部門が違ったり、立場が違ったりすれば、通じない言語や意味の違う言語がたくさん出てきます。
この時に、共通語として役に立つのが「国語」です。
一般的には、「国語」は言語の習い始めの初級言語として馬鹿にされがちです。
しかし、これほどきちんとルール化されて、日本人ならだれしもが知っている言語はほかには存在しないのです。
方言や、「母語」や、論文や、取扱説明書などを読んだり聞いたりしても、わからない言葉がたくさんあります。
日本語は、言葉だけでもとんでもなくたくさんあります。
さらには、文法による用語法の制限がきわめて自由な言語ですので、同じことに対する表現がたくさんできます。
ある実験によりますと、ネイティブ同士の会話の90%を理解しようとしたときに必要な単語数を調べたものがあります。
フランス語では、約2,000語の単語がわかればフランス人同士の会話の90%を理解できるそうです。
英語では、約3,000語の単語がわかればそれが可能だそうです。
これが日本語になると、約10,000語の単語がわからないと90%の理解はできないという結果が出たそうです。
日本語は、世界の言語と比較したときに、その表記文字の多さは勿論のこと、会話において使用される言葉にすら無限に近いものがあると言えるものです。
これは、日本語同士であっても、意思の疎通を欠く可能性があることを示しています。
完全に欠落してしまうのであれば話は簡単です、確認すればいいだけのことですから。
問題は、意味の取り間違いが多発するということです。
似たような言葉、同じ音の言葉が大量にありますので、使っている方と受け取っている方で同じ言葉に対しての意味が違う場合があちらこちらに出てきます。
私たちが使いこなせる日本語は、日本語の中のほんの一握りであることを理解しておく必要があります。
それも、「国語」以外は一般的にはほとんど通用しない言語だと思った方が間違いがないようです。
専門用語を使いたがる人がいます。
専門用語の解説をしたがる人がいます。
そういう人たちに共通しているのは、理解してもらいたいという姿勢が見えないことです。
専門用語を使うことによって、自分がその分野に属している人間であることを自慢したくてしかたがないという姿勢が見えます。
本当のその分野のエキスパートは、ほとんど専門用語を使いません。
専門性の高い話を、分かりやすい言葉と表現で伝えてくれます。
理解してもらいたいという姿勢が、とてもよく見えます。
最近ではアルファベット3文字の略語がいけません。
使っている方ですら、よくわかっていないものが多いです。
専門家同士ですら、会話にならないことがあります。
「国語」で習った漢字で表現しなおすことが大切です。
自分でその言葉の本質をとらえていないとできない活動です。
もう、ワンステップ進めておきたいです。
漢字で表現できたものを、「ひらがな」で言い直すことができるようにしておくことです。
「国語」は日本人に共通の言語ですが、その「国語」の基礎は「ひらがな」です。
どんな言葉であっても。「ひらがな」できちんと表現できていれば、誰でもがわかるものとなっているはずです。
多少のニュアンスの違いはあってもいいのです。
専門性のレベルの高い人ほど、理解してもらうための例えの使い方が大変上手です。
こちらは、専門家ではないので正確にわかる必要はないのです、感覚として理解できればそれでいいのです。
「~のようなもの」「~に近いもの」「~と思ったらいいです」がとても効果的に使われます。
日本語は本当に大きな言語で、一人ひとりが持っている日本語はその中のほんの一部です。
その一部の中の共通語が「国語」なのです。
「国語」に翻訳する努力を怠るわけにはいきません。
話しの内容のわかりやすい人の使っている言葉をよく聞いてみてください。
本人が意識しているかどうかは別にしても、「国語」に翻訳されたものがたくさんあるはずです。
NHKのアナウンサーがその典型ですね。
それでも一般向けにはまだ足りないのです。
そうです、「ひらがな」への置き換えが翻訳の最終ステップなのです。
「おかあさんといっしょ」で通用するレベルにまで翻訳できるスキルを持ったら、素晴らしいことですね。
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