2014年7月11日金曜日

日本と中韓の溝はどこから?

漢語を元にした言語を持ちながら、同じアジアの地域に存在してしている中国や韓国とは、根っこの部分で共有できる意識があるのではないかと思っていました。

最近の報道で、中国が旧日本軍の南京大虐殺と従軍慰安婦に関する資料を、ユネスコの世界記憶遺産として登録する申請をしました。

どうやらこれは、近く韓国を訪問する予定の習金平主席の手土産らしいという話です。

こんなことに目くじらを立てずに無視しておきたいですね。

国として間違いなく手は打たれているはずですから。


残っている史料だけから当時の事実を確認することは不可能です。

重要な史料は極秘裏に処分されているものがほとんどですし、現実的な最前線で行われていたことについては記録などないからです。

それぞれが勝手に妄想を膨らませて、都合のいい歴史認識をしているだけのことです。

たちの悪いことに、国内における政治に対する不満のはけ口として利用するための定番品となっていることもあると思われます。


民主主義が決して理想の体制とは思いませんが、現在の世界においては民主度が一つの目安になっていることは間違いないと思います。

日本の多大な協力によって民主化への道を拓いた韓国はもとより、中国においても民主化への流れはもはや止めることはできない状況にあります。

政治の判断決定の手続きや体制のみが共産党独裁のままであるだけで、実際に行われていることは民主主義体制とほとんど変わらなくなってきています。


一冊の本を紹介したいと思います。

「竹林はるか遠く」(日本人少女ヨーコの戦争体験記)、英語のタイトルは「So Far from the Bamboo Grove」です。

日系アメリカ人の作家である、ヨーコ・カワシマ・ワトキンスによって、1986年(昭和61年)にアメリカで出版された自伝小説です。

日本では「竹林はるか遠く」のタイトルで2013年にようやくハート出版から日本語訳が出されて以来、大きな反響を呼んでいます。


内容は、作者(ヨ-コ)自身が第二次世界大戦(太平洋戦争)の終戦時に11歳で体験した、朝鮮半島の北部の羅南(らなん)から京城・釜山を経て日本へ帰るまでの半島縦断の決死の体験を中心にした苦労が描かれているものです。

戦争の悲惨さを伝える資料として、アメリカにおいては優良図書として選ばれ中学校の社会科の教科書として多くの学校で使用されているものです。

2005年に韓国においても「ヨーコ物語」として翻訳出版されていましたが、自国内でのあまりにも残虐な行為のリアルな描写がショックを与えるとして、発売中止となっています。


歴史を解釈するときには一番危険な行為が、偏った情報による判断です。

それでなくとも資料自体は、公式非公式を含めて信用度の低いものとなっていますので、固定的な考えを持って見てしまったら、どのようにでも解釈可能となってしまうことでしょう。

その意味では、歴史を解釈することにおいて、小学校や中学校の感受性が豊かなころにおける教科書の存在は一種の洗脳の効果を与えるものとなります。

そこで発せられる先生の一言は、子どもたちに大きな影響を与えることになります。

どのような場合においても、人が人を殺したり傷つけたりすることはいけないことだということは誰もが理解できることです。

縁郷里に対応できる武器の発達が、この感覚を鈍らせていることも間違いのないことでしょう。

どんなに理由を付けたとしても、国として行った殺人行為が正当化されることはないのです。


少し国際社会での協調性が出てきたかなと思うと、突然わけのわからない外交策を行なってくる両国は、いったいどんなことになっているのか言語の問題から見ることができないかなと考えました。

中国人も韓国人も私の知っている人たちにおいては、メディアに取り上げられているほど反日の感情はありません。

実際に仕事をしている人たちでは、反日の内容が大きく取り上げられることを快く思っていない人もたくさんいます。


日本においてもその感覚は根強く残っている部分がありますが、彼らの政治は決して民意を反映したものとなっていないために基盤が弱いものとなっています。

それにも関わらず、秩序を維持していかなければなりませんので、一番安易で確実な実績に基づく方法に頼ることになります。

愚民政治(衆愚政治)です。

民衆を無知な状態に置いて情報コントロールする方法です。


公文書は完了が独占し、それを読み書き理解できるものだけが統治者となる特殊な階級の存在です。

その能力を測るための試験が存在します。

場合によっては家系が試験をも凌駕してしまいます。


中国の役人試験である科挙は法律についてではなく、文書能力の試験でした。

民衆が読めないように、漢字の種類はどんどん多くなり複雑になっていきました。

「論語」をしっかり読んでみると、官僚が情報を独占して民衆を支配するための儒教の支配原理を示していることがわかるそうです。


李氏朝鮮においては、中国の科挙の制度を真似ましたが、科挙で選ばれた官僚たちがその身分を世襲するようになってしまい、両班と呼ばれる特権階級ができてしまいました。

19世紀には両班が人口の45%を超えてしまい、結果として崩壊してしまいました。


日本は、歴史的にも世界の他の国に比べると本当に恵まれてきた国です。

大陸の端に位置しており、その上島国として隣国との争いごとにも巻き込まれることがきわめて少なかった歴史を持っています。

侵略の危険を感じた時に初めて、近代武力の必要性を感じた国です。

外国との争いよりも自然との共生のための知恵を使ってきた国です。


さまざまな条件を比べた時に近い国はイギリスではないかと思われます。

イギリスや北欧の文化や国民性に親和感を感じるのは自然なことなのかもしれません。


インターネットやSNSの普及に伴って、国を意識することなく多くの人と触れることができるようになってきました。

リアルでの触れ合いがますます大切なってきています。

母語として持っている言語は、その歴史と文化を凝縮したものです。
(参照:ここまでわかってきた「母語」「母語」の大切さ・・・

国籍を知るよりも母語を知ったほうが、よほどその人を正確に理解できるのではないでしょうか。


マスのメディアは刺激のある情報でより多くの人を振り向かせるのが仕事です。

中韓の人達とも一人ずつの会話をしている限りでは、マスで取り上げられているような危機感はありません。

ただし、日本人の持っている基本的な感覚と異なることは確かです。

何が異なるのか、良い悪いではなく特徴として受け入れる受容性が日本人にはあると思うのですが・・・




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