2014年6月25日水曜日

文字を書くこととキーボードを打つこと

一人で思考するときに、キーボードに入力しながらやる場合と、紙やボードに書き出す場合との違いを考えてみました。

大勢でやる場合には、記録訳や板書役を決めて、みんなから出てきたものをすぐにビジュアル化してもらうことが可能です。

そこてビジュアル化されたものから、さらに思考が刺激されてきますので、思考に専念することができて効率がよくなり深まっていきます。


誰かが板書をしているときに、板書役の人からいい意見が出たりした経験はありませんか。

板書役の人は文字を書くことによって、たんに口頭で意見を述べているよりも、思考に対してたくさんの刺激を受けているからなんですね。

手を動かしていることによる刺激もありますが、文字を書いている刺激の方が大きいと思われます。

書くことによって思考に刺激を与えることは、日本語の特徴を生かしたとても自然な方法なんですね。


日本語の名詞のほとんどは漢字で表現されています。

明治期に生み出された和製漢語と言われる漢字言葉も、そのほとんどが名詞です。

漢字は、現代世界で使われている文字のなかで唯一の表意文字であると言われています。

漢字以外の文字は、表音文字と言われる言葉としての音(発音)を表す記号として使われているもので、文字そのものに意味はありません。


漢字は一文字ずつに意味があり、またその漢字の部首にもそれぞれの意味があります。

ですから、読めない感じであってもその意味するところはなんとなく理解できてしまいます。

思考をしているときは、動詞や形容詞ではなくほとんどが名詞で行われています。

「~する」という行為を表す動詞であっても、思考をするときは「~すること」という客観視した言葉となり漢字で表現することが多くなります。


漢字そのものが意味を持っていますので、漢字を書くことによってその意味を自然と再確認しています。

間違えた漢字を書いた時は思考に対する刺激としては、とてもいい刺激を与えていることになります。

間違えた漢字の意味を頭に浮かべて判断しているわけですから、誰かが間違えた漢字を書きだしてくれることはとてもいい刺激となっているのです。


自分一人で書いているときでも同様です。

「間違えたかな。」とか「あれ、違ったかな。」などが、思考に対してはとても新鮮な刺激を与えていることになります。

一方向に深く掘り下げる思考をしているときには、特に有効です。

幅が広がることが、深さに結び付いていくからです。


また、漢字を一文字で使用することはあまりありません。

ほとんどの場合熟語として使用しています。

複数の漢字があることになります。

熟語としての意味は、ある程度限定されていたとしても、漢字の一文字ごとの意味はずっと広いものとなっています。

熟語の漢字を書くことによって、一文字ずつの漢字からの刺激を得ていることになります。

口に出して熟語を話しているときは一つの言葉ですが、熟語として漢字で書いた時は複数の言葉としての刺激を受けています。

さらに、文字が複雑であるほど、部首による意味も刺激として入ってきます。

一文字から多数の刺激が入ってくることになります。


まとめる方向に行く思考は、規則性を決めてしまえばそれほど難しい行為ではありません。

拡散する思考には、様々な刺激による思いつきやアイデアが必要となります。

それを求めて、環境やメンバーを変えてみることは良く行われることです。

それよりもまず、一人ひとりが書きながら思考してみることの方が効果的です。


思いついたことを書くことに専念してしまうと、常に何かを頭の中だけで思いつかなければなりません。

これはかなり苦しい活動になります。

自分で書いたものを常に読み返す習慣を身につけていると、そこから刺激されることがたくさんあることに気が付くはずです。

手でその文字を書いていることで、その文字に対して手が覚えていることもあるようです。

ある文字を書いていると、自然と引き出されるように他の文字が浮かんで来たり書いたりしてしまうことはありませんか。

とてもいい刺激を受けている現象ですね。


キーボードを打っているとこういう刺激は得られません。

また、せっかくの思考がキーボードを打つという活動によって遮断されてしまいます。

紙に書きながらの思考作業よりも、キーボードを打ちながらの思考作業の方が長時間できます。

言い方を変えれば、キーボードを打ちながらの作業は、作業に集中できていないことを現わしています。


キーボードはどうしても変換作業が入ってきます。

ひらがな入力にしてもローマ字入力にしても、漢字をそのまま入力できるわけではありません。

打つ(入力する)動作と同字に変換結果を確認するという活動が必要になります。

何かの活動と同時にこれらをことをすると、相当のエネルギーを持って行かれます。

集中すれば発揮すればできる能力があったとすれば、キーボードを打ちながらの場合はかなり割り引いて考えなければいけなくなります。


どうしてもデータとして保存したい場合は、清書として保存するためだけにキーボードを打つことをお薦めします。

清書として保存することに集中して、他の活動と同時に行なわないようにすることですね。

特にキーボードを打ちながらの思考活動は、なんとなく集中できなくてイライラすることがあります。

皆さんも経験したことがあるのではないでしょうか。


思考活動の時には、キーボードを触らずに、ボードや紙に書くことを行なうと思考活動の援助になりますよ。

結果としてプリントアウトされたものを見てしまうと、きれいにまとまっているように感じてしまうものです。

しく活動のすぐ後に、こんなものが出てきたら、いかにもきちんとした思考活動をしたと思い込んでしまいそうです。

思考活動は、まとめる活動ではありません。

どちらかと言えば、空想に近い活動と言えるかもしれません。


今までの経験からすると、日本語を使っての思考活動の助けになるのは、漢字によるマインドマップが一番効果があったと思います。

思考活動にもそれぞれ目的がありますので、一概には言えませんが、試してみる価値はあると思いますよ。




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