2014年6月24日火曜日

正しい日本語について

丁度一年ほど前に、「正しい日本語」について書いていたのを見つけて読み返してみました。
(参照:「正しい日本語」はない?

言いたいことはわかるのですが、根拠が弱い感じがしたので改めて新しい情報で書ける内容で触れてみたいと思いました。


結論は一緒ですね、日本語に正しいも正しくないもないのです。

それぞれの時代において、それぞれの意味を持って存在していた言葉の集まりが日本語ですので、どれが正しくてどれが間違っているなんてことは誰にも言えないのです。

同じ言葉であっても、時代によって地域によって使われている内容が異なっていたりします。

どちらも正しいのです。

そもそも日本語というカテゴリにおいて、正しいとか正しくないとかいうこと自体が意味のないことなのです。


一口に日本語と言っても人によっては捉え方が違います。

標準語であったり、方言であったり、自分の使っている言葉であったりします。

標準語については一年前にも触れていますが、もともとは戦争に向かっていったときに軍隊において、方言では命令が徹底しないために標準の言葉を持ったことが始まりです。

軍隊に入ってから戸惑ってもいけないので、標準語を全国に広げるためにNHKがラジオ放送で大きな役割を果たしました。

標準語として使用する言葉や使い方を選んだだけですので、標準語が正しい日本語ということではありませんし、標準語としてのルールがあるわけでもありません。


日本語のなかで、厳格にその時点での言葉としての意味が決められており、使用するための用法が決められている言語があります。

それが「国語」です。

「国語」は義務養育で学ぶ日本語です。

大きな日本語のなかで、厳格にルールによって規定された言語です。

したがって、「国語」としてのルールに照らし合わせた時には、正しいとか正しくないとかいうことができます。

そうでなければ、「国語」の試験なんて成り立ちませんものね。


義務教育では、「国語」だけでなく、基礎的な知識として様々な教科を学びます。

みんなが等しく同様の知識を身につけるためには、共通の言語が必要になります。

誰が教えても、どこで教わっても、同じ教科書で同じ知識を身につけるようになっており、そのための指導要領も整備されています。


したがって、各教科の教科書は、共通の言語である「国語」によって書かれています。

「国語」の習得状況に合わせて、各教科の教科書の文章が書かれています。


人が持っている言語は、同じ日本語ではありますが、幼児期に母親から受け継いだ言語である「母語」。

義務教育にて学習するために必要な共通語として身につける「国語」。

日常の生活をしていく上での環境で使われている共通言語としての「生活語」の三つで成り立っています。


「母語」や「生活語」はその環境を共にしている人にしか共通語としての役割を果たせませんので、唯一「国語」だけが日本語の中での絶対的な共通語ということができます。

「母語」や「生活語」としては一般的に使用されている言葉や使い方であっても、「国語」のルールに照らし合わせると正しくないとなるものが出てきます。

言葉は常に変化していますし、使用法も変わります、新しい言葉も生まれてきます。

「国語」としての規制された言葉の意味や使い方が、「母語」や「生活語」の柔軟な使い方からかけ離れていくことが起こってきますので、時々見直しが行われています。

それでも、「見れる」や「来れる」などの「ら」抜き言葉のように、「国語」においては正しくないとされている使い方が一般には広まっている現実があります。


共通語としての役割を持つ「国語」はそのルールのもとに、できるだけ変化させないほうが共通語としての本来の役割に沿うことになります。

しかし、現実に使われている言葉とあまりにかけ離れてしまっては、実用性がなくなってしまいます。

「国語」が持っている宿命と言うこともできると思います。


実生活の中で「国語」が生きてくる場面があります。

出身地や生活環境のわからない人たちに、何かを伝えて理解してもらおうと思ったら「国語」で伝えることが一番理解してもらいやすいからです。

「国語」の中でも学習段階の初期の言葉で伝えることができれば、さらに理解してもらいやすくなります。

一番初期段階の言葉は、「ひらがな」です。

「ひらがな」で表現できれば、あらゆる人に理解してもらえる内容で伝えることができるのではないでしょうか。

場面によっては、馬鹿にするなと言われることもあるかもしれないので、どんな場合でも相手の素性を確かめておくことは大切ですね。


「国語」においても文法はほとんど変化してきていません。

語彙としての言葉の意味や使い方の変化がほとんどです。

「国語」としての役割をわかったうえで、日本語を眺めていくとまた違った見方ができるかもしれないですね。




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