歴史の浅い国ですでの、古典があまりない点や、各州において独特の特徴ある義務教育が行われています。
国家としての国語戦略は国の機関で定めていますが、それに基づく現実の運用は州に任されている状況です。
ブッシュ政権下における、落ちこぼれ防止法に続いて、2010年に全米共通学力基準が発表されたことが大きな影響を与えています。
義務教育の期間も州によって異なっており、開始は5歳か6歳となっているものの、終了は15歳から18歳まで開きがあります。
人が生きていくためには言語の技術が必須条件であると言う考え方が根付いており、学年ごとに表現技術を磨くことがカリキュラム化されています。
意外と知られていませんが、アメリカは世界でも無類の読書大国となっています。
各都市の図書館はほとんどが日本の国会図書館をしのぐ蔵書量と機能を有しており、書籍の販売量も世界のトップとなっています。
アメリカの国語の評価は3つに絞られています。
「読むこと、書くこと、話すこと」となっており、学年が上がるにつれて求められるレベルが変わってくることになっています。
① 読解力 (Reading)
- 内容の理解度 (Comprehension)
- 流暢さ (Decoding/ word attack):文章や単語を読めるか
- 考えをわかりやすく書けるか (Express ideas clearly)
- 文法・構文 (Mechanics)
- スペル (Spelling)
- 文字の書き方 (Handwriting)
- 考えをわかりやすく伝えられるか (Express ideas clearly)
- 小グループの議論に参加できるか (Participates in small group)
- 大勢の人の前で自信を持って話せるか (Demonstrates confidence before a group)
- クラス全体の議論に参加できるか (Participates in whole group)
その中で行われていることは、語彙の取得です。
一人ひとりにのレベルや方向性に合わせて習得必要な語彙が変わってきますので、個人別に読むべき本を指定していくことが教師の大きな仕事となっています。
読むことの目的が、知識を得るためではなく文章や単語をきちんと読んで理解できることにあります。
そのための個人レベルに合わせた本の選択が先生によって行われます。
学年やレベルに合わせて、声を出させて読ませたり、内容を話させたりするわけです。
書くこと(作文)においては、義務教育以外も含めた全ての教育において一貫した「パワーライティング」の技術が根底にあります。
「パワー ライティング」については書く技術として触れて来ていますので、参考にしてください。
(参照:「書く」技術の紹介(パワー ライティング))
陪審員制度における陪審員を説得するための基本技術として作り上げられたものが、「パワー ライティング」です。
主張を展開し、次に根拠を示し、主張と根拠の関係を示し、最後に客観的な裏付けを示します。
学年によっては実際に法廷で活躍している有名弁護士が、指導に当たることもあります。
裁判における、冒頭陳述、証拠調べ、最終弁論、評議とリンクしており、民主社会における司法的な判断ができる程度の作文力を身につけることを目指しています。
次の話す技術における中心技法のディベートにおいても、論理的な文章の作成は大きな要素となっています。
話すこと(スピーキング)においては、学年が上に行く程により大勢を相手に話すことができるための技術を身につけていくことができます。
小学校では二人でtalk(テーマを決めて話し合う)を基本に「聞く、話す」の基礎を身につけていきます。
中学校では三人でdiscuss(協力的に話し合う)ことの習得を目的に、教科を問わず行なわれていきます。
高校ではdebate(ルールを決めて議論をする)することを、大学ではargue(結論に達するまで議論する)することができるようになることを目標としています。
コミュニケーションの道具、または知識習得のための道具としての言語の習得に関する学習は、小学校の低学年でほぼ完了しています。
それ以降は身につけた言語を使っての表現技術の習得に多くの時間をかけていきます。
これを知っただけでも、自己表現や議論の場における日本人とのアウトプット力の差は歴然であることがわかるのではないでしょうか。
日本語を習得すると言うことは、ある意味では言語技術の習得を受け身で待っていてはできないことを意味します。
大学までの学校教育における「国語」の教育は、終始書き取りと語彙の強化、読解力の向上以外は存在していないからです。
表現するための道具としての優秀さから言ったら、日本語は世界で最強の言語だと思われます。
しかし、言語そのものを身につけるのに時間がかかりすぎることが欠点です。
そのために、社会に出ていく時には、言語技術についてはほとんど身についていないまま出ていくことになります。
うつ病や新型うつ病はコミュニケーション能力に原因がある場合がほとんどです。
つまりは言語技術そのものが未熟であるために、少し環境が変わってしまっただけでコミュニケーションが取れなくなってしまうのです。
道具としての優秀さに、使い方としての優秀さを加えたらいったいどんなにすごいものができるのでしょうか。
そのまま英語の学習ノウハウを持ってきても駄目です。
それは過去に何度も失敗しているのです。
英語で書かれた英語の感性による内容を、ただ翻訳しただけでは日本語話者には使い物にならないのです。
理論や理屈では分かったとしても、自分で使いこなせるものとならないのです。
いい見本が存在しています。
作業現場における改善は日本的な感覚で自然発生的に始まりました。
アメリカに渡ってKaizenとなったマネジメント理論は分かりやすいものになりました。
しかし、同時に日本の現場ではそのまま使えないものとなり定着しませんでした。
少しずつ理解することはできるはずです。
それを実践することもできるでしょう。
そこでギャップにぶつかった所からが、日本感性とのせめぎ合いです。
日本語の感性で行動するときにどうしたらうまくその技術が使いこなせるかを見つけなければいけません。
優秀な道具と優秀な使い手が融合したときにはどんな作品が出来上がるのか楽しみですね。
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