漢文風にすると「和漢混淆文(わかんこんこうぶん)」と言ったりもします。
言語の分野では「和漢混淆文」の方が一般的なようです。
中国から導入された漢語が表現されていた形式、いわゆる文語体を漢文(純漢文)と言ったりします。
まずは、漢文の特徴を少し見てみましょう。
漢文は中国語を文章にするためのものであり、話し言葉としての漢語は文字としての漢字よりもはるかに多くの言葉があったと言われています。
漢字は表意文字であるために、中国では音を表す文字としての使用はされてきませんでした。
そのために話し言葉としては存在していても、それを表記すべき漢字が用意されていないことが起こっていました。
現代中国では話し言葉をそのまま表記する方法が完備されていますが(拼音:ピンイン)、古代では多くの言葉が表記する漢字がないことがあったと思われます。
そのために文章として残っているものは、漢字で表記できるものだけが残っていると思われ、口語化するには読み手による判断が必要になります。
漢文の特徴はその美しさにあるとされています。
その美しさは簡潔さとリズムによるものだと言われています。
紀元前の作品である「論語」「孟子」などは、きわめて知的に整理された美しさとリズムを持った漢文となっています。
表記のとしての美しさを優先したためか、読み手による判断がかなり要求されることもあります。
まず、漢文においては時制が省略されます。
現在か過去か未来かは、読者の判断に任されることになります。
また、つながっている語や句の関係を知る手掛かりがありません(語順によるとされることもあります)。
順接なのか逆接なのか、条件と結果なのか、などが読者の判断に任されます。
このようなことから、漢文の文法は極めて簡単ではありますが、表記外の常識によって理解される必要があると言うことになります。
時代背景や文化的背景、文章が作られたときの作者の生活環境や立場などが理解できていないと、文章だけからでは理解できないことが出てきます。
漢字として表記できる言葉だけを使って、話し言葉よりもより簡潔なものとして使われていたことがうかがえます。
日本における和歌に近い規制と思ったらいいかもしれません。
文章は意図的に簡潔化へと向かい、その中での表現が話し言葉とは別の技術として磨かれていったのではないでしょうか。
知的技術によって表現されたものが漢文であり、当時の話し言葉とは相当の違いがあったものと思われます。
文章が書ける人は、ほんの一握りの層に限られていたのではないでしょうか。
その中でも、表現技術としての評価を受けたものが後世へと残っていったものだろうと思われます。
そんな漢文を日本文として読むために、漢文訓読の技術が開発されていきます。
漢文の文体をそのまま使用し、符号(返り点など)、送り仮名などを使うことによって、日本語の語順として読みとれる形にすることです。
返り点には「レ点」「一二三点」「上中下点」「甲乙丙点」などがあります。
漢文表記は縦書きになりますので、その特徴をも利用しながらこの中での読み替えルールはうまく作ったものだと感心させられます。
ひらがなの発展よりも、漢文和読のためのカタカナの確立の方が早かったであろうと言われるのはそのためですね。
漢文訓読に使われた元の漢字以外の言葉を漢文訓読語と呼ぶことがあります。
上の「レ点」の例を見てみると、「月ニ陰有リ」となっています。
このカタカナ表記されている「ニ」「リ」が漢文訓読語となります。
助詞の補助や動詞の語尾変化などが多く用いられています。
平安時代の中期(9世紀)ごろまでは、漢文訓読法や漢文訓読語についてもかなり自由に行われていたようで、同じ漢文についての異なる訓読語も多数存在しています。
10世紀ころになると博士家などでそれぞれの流派での漢文訓読の方法が成立していきます。
江戸時代から明治初期の知識人は漢文を教養の素地として漢文訓読を重要視しています。
それぞれの受けた教育や立場に基づく漢文訓読を行っていることを知ることができます。
漢字訓読をしたものをさらに日本語の文体として書き直したものを漢文訓読文と呼んでいます。
一般的には漢文の読み下し文や書き下し文と言った方がわかりやすいかもしれません。
この段階は日本語の文語体(文字表現のための言葉)でかな交じりで書かれたものを指しており、口語体(話し言葉)にまではなっていません。
漢字かな交じりや、すべて平仮名あるいは片仮名のものもあります。
奈良時代より漢文訓読が行なわれていたことがわかっており、平安時代のひらがなの発達とは別の道を歩んできていたと思われます。
徒然草や源氏物語などにも引用されていることが確認されています。
その後、漢文訓読文は広がりを見せて、江戸時代には庶民向けの作品にも広く使われています。
江戸時代の漢字は、今の漢字よりもずっと少ない数の漢字が用いられており、その分仮名が多くを占めていました。
きちんとした漢字として残っていくものは、個人名や地名などの単独で存在する物であり、語尾変化を伴うものは送り仮名とともに仮名化した表記がなされていったものと思われます。
明治以降の新生漢字の氾濫は、さらに漢字かな混用文の機能を高めていきました。
漢文訓読とひらがなが高次元で合体したものが漢字かな混用文と言うことができるでしょう。
そこにはもはや、漢文にあった簡潔さや音のリズムによる美しさを見ることはできません。
その代り、和歌によって培われた七五調を基本としたリズムや新生漢字による表現の正確さなどを併せ持った文体となっています。
伝えたい相手によって、伝えたい内容によって、それを効果的に表すことのできる汎用性にとんだ文体となっているのです。
それだけに場面に応じた使い方を間違えると、「あいまい」さの指摘を受けることになります。
具体的には、漢字とひらがなのバランスや一語・一文の長さ、語尾の終わり方などによって、目的に合わせた表現を選択していくことになります。
これが語感と言われるものになります。
語感の使い手になりたいものですね。
最後に漢字による和漢混淆体の見本を一つ挙げておきます。
新年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰(『万葉集』20巻)
読み:あたらしき としのはじめの はつはるの けふ(きょう)ふるゆきの いやしけよごと
初めの句は「乃」によって訓読みとして使われています。
それ以外はすべて漢字の音読みで「やまとことば」を表したものです。
すでに万葉集のころから、こんな技術が磨かれていたんですね。
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