このブログに対してご相談いただいた、わかりやすい例がありますのでご紹介したいと思います。
掲載についてご本人の了解を確認していませんので、一事例として見てください。
オーストラリアで国際結婚をして、5歳と1歳のお子さんがいらっしゃるお母さんからのご相談でした。
ご自身は日本語を母語として持っており、日常会話も日本語です。
ご主人は英語が母語であり、家族だけの時は日本語も使われます。
お母さんとしては、お子さんに日本語を捨てて欲しくなく、何とか日本語を持ち続けて欲しいと思っています。
家庭では日本語だけで話すようにして日本語習得の環境を作ってきたため、5歳のお子さんは母語としては日本語を持っています。
もうすぐ2歳になるお子さんも日本語で話すようになってきています。
実は、義務教育は現地の小学校に行くことになります。
つまり、学習言語(第一言語)は英語になるのです。
家庭以外の環境においては英語の環境となっていますので、5歳のお子さんは母語が日本語とはいえ英語と日本語の区別はできています。
英語が日常言語になることは仕方のないことですが、子どもたちに何とかバイリンガルとして日本語を使えるようになって欲しいというのがお母さんの願いです。
ご自身でも大変深くバイリンガル教育について学んでいらっしゃる様子がうかがえますし、その様な環境の中でお子さんの母語を日本語にしてきた努力は大変なことだと推察できます。
母語として英語を選択した方がずっと気楽に生活できたと思われますし、ご本人もそのように感じていらっしゃいます。
周りでも日本人の方で子どもが生まれた時から英語で育てた人がたくさんいるそうです。
結果として、義務教育で学習言語の英語の習得をする段階ではそれほど問題ないと思います。
ゲームのような感覚で、どんどん覚えていってしまうことでしょう。
しかし、、その英語を使って考えたり表現したりという活動が始まると、お子さんが理解する内容や受け取るニュアンスにおいて、周りとの違いが感じられることになります。
この原因ががわからないと、子どもは不安になり孤立感を味わうことになりますが、こちらの場合はお母さんがその原因を日本語の母語としてしっかりと理解されており、子どもの不安を取り除いてあげることが簡単にできると思います。
そうなると学習言語の習得もスムースにいきますし、やがて10歳を超えるようになると、母語としての日本語との感覚の違いを楽しめるようになると思われます。
言語としての大きさである、語彙の豊富さや文法の規制の緩さなどは日本語の方がはるかに広いために、日本語に比べたら語彙も少なく規則正しい英語は簡単に身につくことでしょう。
ただし、母語として身についている日本語としての言語感覚とのズレは生まれることになります。
身についている母語としての日本語がしっかりしているほど、そのズレを感じる場面は多いと思われます。
おそらくは、遊び感覚で英語の習得はできてしまうでしょう。
日本語の習得のように、徹底した書き取りやたくさんの文字を覚えなくていいのですからあっという間だと思います。
学習言語として英語を身につけることは、英語社会で生きていくためには必須です。
知識やルールを英語で理解し考えて表現できなければならないからです。
しかし、それができるようになれば学習言語の役割は終わりです。
それ以降のより高度な知識やルールはどんな言葉で習得しても構いません。
知識としての他の言語(第二言語)を学ぶのはそれからです。
これが、バイリンガルへの一番の近道です。
こちらの方の事例では、幼児期言語で中途半端に日本語と英語をチャンポンにせず、しっかり日本語を母語として身につけることができたことが最大のポイントです。
母語を意識していないで英語と日本語のチャンポンで育った子供たちが、小学校に入って4年たっても英語の抽象的な表現力や理解力が伸びずに苦労しているのを見てきていらっしゃるので、現実の問題として感じておられたのでしょう。
母語習得の段階では、子どもは言語の区別などできませんので、チャンポン母語は世の中にない言語を持ってしまったことになります。
その感覚は親もわかりませんし、元となったそれぞれの言語感覚からもズレています。
少しでも早く学習言語の習得にかかるしか手はないのですが、なかなかそれには気づかないです。
日本に住んでいて、日本語環境にあるにもかかわらず、幼児期の英語教室などで英語を教え込んでしまうことは、まさしくこれをやっていることに他なりません。
結果として、英語も日本語もわからない(周りの理解している感覚とズレる)ことにつながっていきます。
幼児期の保育言語の一番無難な選択方法は、子どもが受ける予定の義務教育の学習言語としての「国語」と同じ言語を選ぶことです。
その次の選択としては、義務教育の「国語」よりも大きい言語を選ぶことです。
どちらにしても、最低でも家庭の中では選択した言語だけで幼児期の生活ができる環境が望ましいことになります。
ましてや、親(特に母親)が持っている言語と異なる言語を幼児期の保育言語(母語)として選ぶ場合には、親と子供の会話を限定することになるので相当の覚悟が必要になります。
途中で失敗したりしますとまさしくチャンポン語になってしまい、子どもにいらぬ苦労を強いることになります。
判断基準は、義務教育における学習言語が何語になるかと言うことになります。
知的活動は言語でなされます。
人とのかかわりの中で知的活動をしていかなければなりません。
人とのかかわりには、ルールと基本的な共通知識が必要です。
そのためには同じ理解ができる共通語が必要です。
それが学習言語としての「国語」になります。
学習言語としての「国語」は、その言語を使う人は義務教育の中で、ほとんどの人が同じような教わり方で身につけています。
それにもかかわらず、一人ずつ大きな違いが出てくるのは「母語」による影響です。
義務教育における習得だけで決まるのであれば、もっと金太郎飴的になっているはずです。
同じような言語の習得過程を経験し、同じような言語の使用方法を経験しているのに、知的活動にこれほど大きな差が出てくるのは「母語」による影響と言わざるを得ません。
児童の教育や知能開発の専門家たちが声をそろえて、5歳までの家庭環境が子どもの知的能力を決める、と言っているのはこのことではないでしょうか。
「母語」の影響を具体的に調べることはほとんど不可能だと思われます。
しかし、現れている現象からはその影響を否定することはできないと思います。
「母語」と呼ぶかどうかは別問題ですが、もっとわかりやすい広がりやすい言葉があってもいいと思っています。
今回は「幼児期の保育言語」という言葉に挑戦してみました、少し前では「母親と子供の幼児期共通語」とも言ってみました。
せっかくの日本語ですので、もっといろいろなわかりやすさにこだわっていきたいと思います。
今回のご相談では、わたし自身も改めて専門家に確認する機会を持つことができ、さらに深めることができました。
ご相談いただいたことに感謝したいと思います。
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