傷を舐め合ったり、励ましあったりすることをチームワークだと思っている者があまりにも多いです。
チームワークの基本である自分を開示できないので、いつまで経っても前向きの話し合いになりません。
チームに1人くらいはいるものですが、半数以上がこういうメンバーですと、チームとして機能しなくなります。
ただ言われて仕方が無いからチームと言うところに、名前を出している感覚です。
自己開示をして人と触れ合った経験がほとんどないのです。
友達との関係においても、自分は友達だと思っていて誘ったりしてみたのですが、断られたことで簡単に落ち込んでしまいます。
落ち込むことが怖いから、自分からは声をかけなくなります。
声をかけて断られることを、必要以上に怖がっています。
そのくせ誘われれば喜んで付き合うのですから、不思議なものです。
自分からは誘わなくとも、自分を誘ってくれる人を友達だと思っています。
しかも自分では友達だと思っていますので、その人の活動は気になっておりよく掴んでいます。
その結果、自分が誘われなった場合も分かっており、そこで声が掛らなかったことでまた落ち込むのです。
ましてや、付き合いの浅い人に自分から声をかけて誘うことはほとんどありません。
断られることを極端に怖がっています。
否定されることを怖がっています。
学校の成績は決して悪くありません。
むしろ、上位レベルではないでしょうか。
否定されたくない反動が、否定されない自分を作ることに向いた結果として勉強に向かっていたと思われます。
かかわろうとした自分が受け入れられなくて苦しい思いをした経験は、自分だけでなく心を開こうとする相手に対しても反映されているようです。
踏み込んで自己開示しようとする相手に対して、真摯に向き合うことができません。
自分がそうだから、中途半端な応対をしては相手を傷つけることになると思い込んでいます。
自分のなかで本当に自信があることしか対応できないのです。
踏み込んできた内容に対して、一緒になって考えてみようとすることができないのです。
自信の持てないことには対応することができないので、少しでも自信をつけるために勉強をします。
心を開いてくる相手に対して嬉しい気持ちはあるのです。
それだから余計にしっかりとした自信のある対応をしなければと思っているのです。
だからなおさら一人で勉強することを選んでいくのです。
この若者たちが社会に出ていきます。
自信をつけるためにしていた勉強には、きちんとした正解があります。
その正解を見つける技術を、彼らは知らない間に磨いているのです。
そうやって得た知識を自信の裏付けとしているのです。
その分野において人の知らないことを知っていることが彼らの自信の根源です。
ですから、普段はあまり深い話をしなくとも、自信のある世界に触れると驚くくらい話し出します。
その世界において共有できる知識を持った人を求めるのです。
ところが社会に出てぶつかることには正解がありません。
彼らは社会に出ても正解を探し続けます。
ない正解を探し続けるのです。
社会に出て向き合うことは、自分で好きなことを選ぶわけにいきません。
否応なく向こうからやってくることに対して何等かの結果を出さなければいけないのです。
成績は悪くないのに、社会に出て活躍できない若者はほとんどが正解探しをしています。
どこかで正解に出会わないと苦しくてしかたがないのです。
どこかで自分から先に開示する勇気を持たないと、どんどんうつ病化していってしまうのです。
それでも、そのことを人に言うことができません。
親に対しても黙っていて伝えることをしません。
どこかで自分と同じ匂いのする人を探し続けているのです。
同じ世界で同じ高いレベルで触れ合えた人とだけ、自分が劣っていることがあったとしても、話ができ向き合えるようになるのです。
簡単に自己開示の壁を取り払うことはできません。
同じ分野における尊敬する先輩や同僚から、優しく声を掛けられて初めて自己開示が可能なのです。
そうでなければ、研修のように絶対に否定や無視をできない、しかも同じようなの匂いのしそうなメンバー環境の中で、自己開示をしても傷つかないで反対にフォローしてもらえる経験をすることです。
とにかく自己開示を恐がる環境を排除しつつ、自己開示の恩恵を経験させることしかないのです。
そうして初めて、自己開示を否定されてもさらに自己開示ができる図太さが身についてくるのです。
基本的な地頭は決して悪くないので、就職面接の対応などはテクニックとしてすぐ覚えてしまい、状況に応じた模範解答を知識として持ってしまいます。
一人でも多くの自己開示に対する恐怖を取り払っていきたいですね。