子どもは自分で言語の選択や環境を選択できませんので、親が子どもにとってストレスにならない環境を作ってあげることが大事になります。
子どもは生まれた時から、本能的に母語としての「ことば」を身につけて、その過程において知的活動のために必要な機能を身につけていくことがわかっています。
環境として一番大切なことは、子どもがストレスを感じることなく「ことば」を自然に身につけていける環境です。
これは子どもが生まれた時から持っている本能的な活動です。
この活動は幼児期健忘によってほぼ完成すると思われます。
日本語を母語とする者においては4歳10ヶ月くらいが平均的な幼児期健忘の現れるタイミングのようです。
幼児期の記憶がリセットされて失われることのメカニズムは、いまだにほとんど解明されていませんが、幼児期健忘という現象がすべての人に対いて起きていることは確認されていることです。
幼児期の子どもは、まだ思考することができません。
耳から入ってきた「ことば」を記憶して使っているだけです。
したがって、幼児期の英才教育は考えさせることはできません、覚えさせることしかできません。
覚えることができたとしても、幼児期健忘によってその記憶はほとんどがなくなってしまいます。
何かを覚えさせるという英才教育はやっても意味のないものになってしまいます。
「ことば」として記憶した母語もそのほとんどを失いますが、毎日のように使っている「ことば」についてはすぐに新しい記憶として上書きされていきます。
使わなくなった「ことば」が記憶から消えていくことになります。
それでは母語の習得は言葉としてはほとんど消えていってしまうので、意味のないことなのでしょうか。
母語の大きな働きに、母語を使うために最適な知的活動のための器官の発達があります。
母語に親しめば親しむほど、言語感覚が磨かれ母語を使うための知的活動のための器官が発達していくことになります。
この時期に幼児の行なっている活動のほとんどすべてのことが、母語の習得につながっています。
母語の習得を行っていくことが自然な活動なのです。
母語の習得以外の何かを教え込むという行為は、結果的に本来の母語を習得するという活動を妨げることになります。
特に気を付けたいのが、母語以外の言語を教え込もうとすることです。
母親がもともと使っている言語ならばともかく、母親以外の先生に預けて母語以外の英語などの言語を教え込もうとするととんでもない失敗をすることがあります。
私の友人のひとりに幼児期をシンガポールで過ごした人がいます。
家庭では母親が中心になって日本語を身につけていたそうです。
周りは英語の環境だったそうです。
彼が小学校の3年生から日本の小学校に入ってきたときに、国語の感覚がわからずにかなり苦労をしたそうです。
同じ教科書を読んでも、先生から同じ話を聞いても、周りの子どもの理解と違っているのです。
「ことば」は理解できるのできるのですが、微妙なところの理解がみんなと違っているのだそうです。
算数は理解しやすかったそうですが、国語や社会はすっかり苦手になってしまったそうです。
中学のころは友達と話していても、一人だけ感覚が違うことが気になってしまい神経内科へも通ったことがあるそうです。
私の母語の話を聞いた時に日本語に英語の感覚の混ざったものが母語となっていたのではないかと気が付いたそうです。
自分で周りの人と感覚が違うと認識できるまでには、かなりの時間を必要とします。
それができるようになって初めて気持ちのなかで折り合いがつけられるようになったそうです。
今では英語も使いこなして活躍していますが、英語の感覚とも違ったものになっていることは本人も気がついていたそうです。
海外で幼児期を過ごす場合には、特に親が気を付けて母語習得のための環境を整える必要があります。
条件が整っている国内において、わざわざ英語に触れさせることは日本語を母語として習得することの妨げになってしまうのです。
しかも、子どもは言語の区別がつきませんので、バイリンガルにはなりません。
幼児期に英語を教え込むと、日本語と英語の混ざり合った世の中に存在しない様な言語を母語として身につけてしまうことになるのです。
友人の言っていた、日本語の感覚とも英語の感覚とも違ったおかしな言語感覚を持ってしまうのです。
幼児期には思考するがほとんどできません。
思考するためには思考するためのツールとしての言語が使いこなせるようにならなければなりません。
日本語の場合は、学習言語である国語の基礎的な習得まで10歳頃までかかります。
記憶が2週間から3週間の保持期間を持つようになるのがこのころからです。
幼児期健忘の後の記憶は徐々に「いつ、だれと、どこで」を伴ったエピソード記憶としての記憶ができるようになってきます。
エピソード記憶が身についてくるのが、同じように10歳ころと言われています。
したがって、きちんとした思考ができるようになるのは10歳以降であるということができます。
ものごころが着いてくる時期と言われるのと被ってくるのではないでしょうか。
幼児期は脳が一気に容積を大きくしていきますので、周りから見ているといろいろなことを覚え始めていると思ってしまいます。
幼児期に何かを教え込むことは、本来の母語の習得による知的活動のための機能開発を邪魔することになってしまいます。
余分なことをやるから失敗するのです。
本来の姿をしっかり理解して、そのための環境を整えてあげてじっくりと習得していくのを待つという心構えが必要になります。
すべての知的活動のための基礎にあるのが言語です。
言語を使って思考をできるようになるまでは、しっかりとした言語を使えるように身につけることが大切です。
幼児期の母語の習得における失敗は、取り返しができません。
お母さんの「ことば」として、子どもと会話をすることが一番大切になってきます。
いろんな人と会話をできる環境を整えてあげたいですね。
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