「母語」という原語の存在に出会ってからずっと不思議に思っていたことがあります。
(「母語」についての詳しい話が始まってしまうと、長くなってしまいますので、過去のブログの「母語」のラベルがついているのを見ていただきたいと思います。)
幼児期にしか習得できない言語で、人としての知的活動のための機能の基本を作ってしまう重要な言語であるにも関わらず、何故こんなに知られていないのかということです。
多少極端に言ってしまえは、この「母語」によって人の知的機能がほとんど決まってしまうのに、何故気にしないのかということです。
しかも「母語」は幼児期にしか身につけることができなくて、4歳頃には基本的な習得が完了していると言われています。
身体的発育が幼児期の大きな目的の一つですが、もう一つが知的活動のための機能の発達です。
幼児期はこのためだけにあると言っても言い過ぎではないでしょう。
そしてこの2大機能発達のための基本グラムは、生まれたときより本能的に稼働しています。
稼働はしていますが、赤ん坊が独力で活動することはできないために、多くの部分で親のサポートが必要となっています。
基本的な機能が身につくまで、このプログラムは稼働し続けて、やがてここで得た機能が第2の本能として、個人の基本的なチカラとなります。
つまり、幼児期は活動そのもののサポートは必要ですが、帰納を開発・発達させるプログラムは最初から持っているのです。
身体的な発育のためには、言語はあまり大きな影響な与えませんが、知的な機能発育には言語が不可欠です。
言語に浸り、言語を話し、言語を理解することによって知的活動のための機能が発達していきます。
そのための言語が「母語」です。
母語を聞き分けやすいように聴覚が発達していきます、母語を話しやすいように声帯が発達していきます。
知的活動に必要なすべての機能が、母語を使用すのに最適な形で発達していくのです。
幼児期の母語を身につけ始めた子供にとっては、言語の区別はありません。
日本語であろうと、英語であろうと、ドイツ語であろうと区別なく受けとめていきます。
日常的に聞こえている言語が複数の場合は、子どもの中ではそれらの言語を合わせたものを一つの言語として受け止めることになります。
幼児期を海外で過ごした子供が、言語で苦労するのはこのためです。
複数の言語の区別はつきませんので、とうぜんバイリンガルになどなるわけがありません。
それどころか、複数の言語の混ざり合った、この世に存在しない言語を母語として持つことになります。
元になっている言語のどちらとも違いますので、どちらもちきんと理解できないし、使いこなせないものになります。
今の日本の子育て環境の中で、純粋に日本語だけで育てることは不可能です。
しかも、母語は母親から受け継ぐ伝承言語ですので、どんなに頑張っても母親以上のものは伝わりません。
母親以外のものが教え込もうとしてもだめです、母親からしか受け入れないようにできています。
ある程度の身体的な発達が進んできて、外で活動ができるようになると、言語も安定してきて、母親以外からの言語も受け入れるようになります。
それでもしばらくは、必ず母親との確認活動を経て身につけていることは、少し注意をしていればよく見かけられることです。
一番いけないことは、日常生活で日本語を使っている母親が、子どもに英語で話しかけたりすることです。
その行為自体が、子どもの母語の習得を妨害していることになります。
ましてや、幼児期に英語教室に行かせたり、保育園や幼稚園で英語を聞かせたりすることは、子どもたちから世界一優秀な言語である日本語を奪うことになっているのです。
しかもその英語は全く役に立たない英語です。
英語になっていない英語です。
幼児教育はたった一つだけでいいのです、それはきちんとした日本語での「母語」の習得です。
教え込みの教育ではありません。
自分で習得しているのですから、邪魔をしないで待ってあげることです。
もうひとつは、母親がきちんとした日本語を使っていることです。
幼児教育に男は役に立ちません。
せいぜい、家事の分担を手伝うくらいが精一杯です。
子どもは母親によって育つものです。
正しい日本語いうものはありません、言葉は日々変化していきます。
まずは、子どもを持つ前の母親予備軍に、きちんとした日本語使いになってもらうことです。
世界で一番優秀な言語である日本語は、他のどんな言語にも対応できます。
母語として日本語を持っていることが、これからの一番の資質だと思われます。
しっかりした日本語を使っている人ほど、他の言語の習得が早いのは多くの場面で報告されています。
もっともっと日本語に興味を持って楽しんで使えるようにしたいですね。