2014年3月7日金曜日

育児をシンプルに考えたい

ひとことに育児と言っても、育児にはいろいろなことが含まれると思われます。

同じような意味で使われている言葉にも、子育て、保育、幼児教育、などがあります。

人としての基本的な機能が出来上がるのが、幼児期と言われている5歳前後までの期間です。

それ以降は出来上がった基本的な機能を強化して、様々な対応力や強みを作っていく活動となります。


人としての機能で大きなものは、身体活動的なものと知的活動的なものの2つになるのではないでしょうか。

それぞれの機能について、発達に応じた最適な習得段階があります。

幼児期はその中でも特に、人として生きていくための生命維持機能の発達段階であり、その後の機能強化のための基本機能の習得段階ということができます。

それは身体的なものに限らず、知的活動のための機能についても当てはまります。


育児という言葉が示す対象は幼児となります。

子どもは独力で生命を維持する機能を持たずに生まれてきます。

その子供が親(特に母親)に補助を受けながら、生命維持のための基本機能を発達させて身につけていくことが幼児期の最大の目的であると言えるでしょう。



子どもは生まれたときから、本能的に生命維持のための機能を発達させるようにプログラムされていますが、その活動には親の補助を欠くことはできません。

親の補助を受けながら、少しずつ独力で生命を維持する機能を発達させていき、就学(小学校入学)時点では基本的な機能を保有するようになります。

親の補助を必要としない対外的な活動が徐々にできるようになっていきます。


それは身体的な活動においても、知的な活動においても同様です。

育児における身体的な基本機能の発達については、医学の発展に伴って、様々な面でサポートがなされてきました。

しかし、知的活動の機能発達については、そのメカニズムの解明もほとんどできていない環境であり、親に頼ってきているのが現状です。

このメカニズムについては、少しずつは解明されてきてますが、わからないことの方が多いのが現実です。


身体的な発達が順調に進んでいればいるほど、知的活動のための機能発達に目が向けられるのは極めて自然なことです。

そのために様々な幼児教育が事業として成り立っていることも事実です。

小学校以降の学校教育における効果測定である、評価や成績においても幼児期の知的活動のための機能によって大きく影響を受けていることは否定できないことです。

学校での成績や評価が、その後の人生においての社会生活にまで大きな影響を与えていることも否定できないことです。


いい学校へ行って、いい会社に入れればある程度の安定した人生が保障されていた時代は、そのためだけの知的活動で十分であり、評価を受けた結果としての成績を残していくことがすべてでした。

いい学校へ行くことが、いい会社に入ったりいい職業に就くための最短距離でした。

そのためには学校という機関の中での評価を得て成績を上げるために、試験というインプットされた知識の比べっこで人より良い結果を残す必要がありました。

親として子どものためにできる最大の貢献は、よりいい学校へ進むための環境を作って導くことでした。



まず、いい会社が崩れました、そして安定した就業環境が崩れました、定年まで勤めてもその後の保障はなくなりました。

いい会社に入っても、安定した人生の可能性が激減しました。

いい会社に入ることが目的だった、いい学校の目的が変わらざるを得なくなりました。

いい会社、いい学校の基準が変わってきました。

世間一般の「いい」という評価が自分には当てはまらないことが多くなってきました。

「いい」と思っていた状況が、突然なくなることが起きています。


その影響が育児の知的活動のための機能発達にも出てきています。

良い面と悪い面が出てきています。

良い面では、お受験のための教育が減ってきたことです。
お受験は小学校受験ですので、幼児に対して教育をすることになります。

教育は教え込むことですので、子どもにとっては自然な習得とは異なった活動となります。


悪い面では、社会環境の変化に伴って、親がなにがしかの教育を早くにしてやりたいと思うことです。

そのことが幼児期に手探りでも何らかの教育をしてやりたいという行動につながります。

幼児期の自然な習得とは異なった活動となります。


幼児期の知的活動のための機能発達には、方向付けをしてはいけません。

その後のあらゆる知的活動のための基本機能になりますので、偏った機能開発をしてしまうと、基本的な機能に欠陥が起こる可能性が高くなります。


本能的に子供が習得するようにできている活動が、より行いやすい環境を作ることが一番大切になります。

子どもは勝手に習得していくのです。

何を習得していくのかをよく理解して、邪魔をしないことが大切になります。


ますます不安定な社会の中で生きていかなければならなくなります。

そのためには、今まで以上にどんな状況においても対応できる知的活動ができなければなりません。

幼児期の基本機能習得期に方向付けをしてしまっては、対応力を削ることになってしまいます。
しかも、基本中の基本の機能ですので、あとからその力を補完することができない状況になるようです。

改めて、教育をしない幼児期の知的機能の習得について目を向けたいですね。