2014年3月22日土曜日

成長とは変化し続けること

成長するということはどういうことなのだろうか。

企業を評価するときには、収益性・健全性とともに成長性を軸におくことが頻繁にあります。

成長とはただ規模が大きくなることではないような気がします。

成長とは、現状に満足して留まることを良しとしないことではないでしょうか。



いろんなものを公平に評価するには、出た結果を数値に置き換えて比較するのが一番わかりやすい方法です。

実績評価として、様々なものに使われています。

想定する結果を目標として掲げ、目標に対して到達したのかしなかったのかによって評価されます。


かつての社会環境では、同じことをやり続けていても市場そのものが拡大基調でしたので、あらゆるものが成長しているように見えました。

それは成長ではなく、単なる増加であったことに気付いた者がどれだけいたでしょうか。


社会環境が大きく変化しました。

基本基調は縮小節約・効率です。

本当に必要なことに対してのみ、より少ない投入でより多くの結果を求めます。

本当に必要なこと以外は切り捨てていきながらも、本当に必要なものそのものが変化をして行っている環境です。


そんな環境変化の激しい中においては、同じことをやっても同じ結果が得られる再現性はほとんどないと言って良いと思います。

環境変化に対応しながらも定めた結果を手にするために、今までとは違ったことをやっていかなければなりません

誰も確実なやり方がわからない中で、試してみては失敗し、また違うやり方を試していくことを繰り返します。
そして、より早く結果にたどり着くことを模索していきます。

これが成長の原点ではないでしょうか。


そして、
究極の成長とは、激しい環境変化の中でも不変の原理原則を見つけ出して、それを元に変化に対応した行動をしていくことになるのではないでしょうか。

一旦見つけたと思った原理原則であっても、それが確実ななものであることはほとんどありません。

何度も見つけたと思っては、また変化していくものだと思います。

この不変の原理原則を追い求め続けることこそ、成長の源泉ではないでしょうか。


ある時点では、自分で納得できる原理原則が見つかったと思っても、次の状況下においては決して不変ではないことが多々あるはずです。

そこでめげることなく、変化に対応しながらも不変の原理原則を追い求めていくことが成長と言えるでしょう。


環境の変化に対応して変化していくことは当たり前のことです。

ここで、過去の既成概念ややり方にこだわっても求める結果は手に入りません。

求める結果を手に入れるためには、今までと違った行動をしなければなりません。

それだけでは、社会環境の変化に振り回されることになります。

これだけでは成長していくことにはならないのではないでしょうか。


社会環境の変化に対応しながら自らの行動を変化させていくとともに、どんな変化に対しても対応できる不変の原理原則を追い求めていくことこそ成長していくことだと思います。

変化に対応しようとするときには、まずは既存の経験と知恵に基づいて行動を起こします。

そこで求める結果に手が届かないときに、変化しなけらばならないことに気が付きます。

どのように変化をすればよいかの選択肢を見つけて、ベストと考えるものの行動をします。


求める結果に手が届くまでこれを繰りかえりていく場合と、手が届かないもとして諦める場合が出てきます。

諦める要因で最も大きなものが時間的な要因ではないでしょうか。

有限である利用可能な時間のなかで、求める結果が手にできないときにその結果を手にすることを諦めるということが起こります。

次に大きな要因は経済的なものではないでしょうか。

経済的な(投資の)限界によって求める結果が手にできないこともあります。

この場合にも諦めるということが多く起こるようです。


ここで諦めるという選択をした場合に、成長はあるでしょうか?

諦めると決めた結果が「失敗」ということではないでしょうか。

使える時間を決めて、求める結果を数値化することが日々行われています。

その条件のなかで結果を手にできなかったことを「失敗」と呼んでいます。

「失敗」と決めたことで、それも一つの結果として割り切って決着してしまいます。



私たちの周りに起きることは、そんなに白黒はっきりと決着がつけられることばかりでしょうか?

つけられないことの方が多いのではないでしょうか。

決着がつけられることはほんの一握りの限られたことでけはないでしょうか。


諦めの悪い奴は、成長を続けていると思いませんか。

忘れたころ、知らないうちに求めていた結果を手していたりしていませんか。


人は有限の時間を生きています。

人は結果で評価をされます。

時間と結果を意識することは仕方がないことだと思います、一種の本能ではないかとも思います。

有限の時間のなかで、求める結果を手にしようとするから努力をするのでしょう。

努力は誰でもするものです、努力の方向が大切なのではないでしょうか。

求める結果を手にするために変化をしてみるという努力です。

それでも手に入らなければ、さらなる変化をしてみるという努力です。


そんなことの繰り返しが、自然と成長ということにつながってくるのではないでしょうか。

変化ないところに成長はないのでしょう。

社会環境の変化の激しい今の時代は、成長を促してくれる環境が整っていると考えると気が楽になりますかね。