2014年3月12日水曜日

重なる動詞をなんとかしよう

日本語の表現の特徴に動詞が重なることが多くあります。

例えば、「・・・・を設置することを検討する。」や「・・・を検討する委員会を設置する。」などの表現です。

前の動詞は語尾変化をして、動名詞や形容動詞などとして使われることが多いです。


主語が省略されることが多い日本語の話し言葉では、最後に動詞が来てもその主体者がわかりにくくなっています。

誰がやるのか、検討するのか、設置するのかよくわからなくなってきます。


国会中継などを見ていると、このへんの表現のオンパレードですね。

特に答弁側は、たまに威勢よく言葉を発したかと思うと、見事な動詞の重なりで断定的な表現を避けています。

検討するのかしないのか、質問者は検討するという回答を狙っていますが、答弁者は検討するための委員会を設置すると答えており、検討することを見事に避けています。



この表現技術は、私たちも自信のない内容の発言をするときなどには頻繁に使っていますね。

「・・・の結論を得合たと思っております。」などは、まだ気が利いている方ですね。
自分がそのように思っていることを表明しているのですから、まだ良心的な表現だと言えるでしょう。

「・・・の結論を得たという見方もできなくもないのかもしれません。」などとなると、言っていることの中身の信憑性が一気に低くなってきますね。

文章にする場合には、どうしても主体を意識しますので文字としても主語が登場してきますが、話し言葉の中ではよほど意識しないと主語が省略されていきます。

特に、会話をしている当事者および当事者を含む複数の主体の場合は省略されることが多くなります。

最後の動詞の語尾変化を頼りに、主体を推察しなければならなくなります。

特に話し言葉は、最後まできちんと聞かないと一番肝心な「誰が」と「何をやる」がわからないことになります。



日頃の会話から、動詞の重なりをできるだけ使わないような訓練が必要になります。

そのためには、「・・・と思う」や「・・・と言われている」など表現を使わないことが一番いいのですが、それではかなり無理が出てきます。

ですので、先に「私はこう思います。・・・」や「・・・ではこのように言われています。・・・」と使ってしまう方法をお薦めします。

こうすることによって、後につづく話し内容が断定的な表現ですることができます。


受け手が勘違いする要因で多いことが、聞いた内容が事実なのか、話し手の意見なのか、推測なのか、はたまたどこかの誰かの意見なのか、推測なのかです。

これを逆手に取って、美辞麗句を並べて何の中身も結論もない話を、おもしろおかしくする技術があることも確かですが、私たちの話す内容は理解してもらうために話すことがほとんどです。

そのためには、簡潔に誰が聞いても間違えのない同じ理解をしてもらえる表現を磨く必要があります。

動詞の重なりを減らすことは、その第一歩ではないでしょうか。

断定的な表現に慣れてくると、更に日本語の表現力の豊かさが生かせる場面が増えますよ。


文法的な縛りがとても緩いのも日本語の特徴です。

そのために、非常に豊富な表現力をもっているのもメリットですが、反対に表現力がありすぎて場面によっては不適切な表現に出くわすこともあります。

場面や目的に応じた適切な表現方法を自分で見つけておく必要がありますね。