2014年2月7日金曜日

語感で遊ぶ

何度も触れてきた「母語」が、幼児期にしか習得することできない生涯言語の基礎であるならば、後天的に経験の積み重ねで磨き上げていくことができるのが言語表現力の基本となる「語感」です。

幼児期の「母語」の習得が母親を中心とした環境によって影響を受けるのに対して、「語感」については基本的な言語が身に付いてから自分で磨き上げることができるものです。






学校教育における言語習得の内容は、基本言語である学習言語(国語)の習得に重きが置かれており、そのためにほとんどの時間が割かれています。

その後の入学試験などにおいても習得内容の確認が中心となっているために、知識の確認としての書き取りや読解が中心となっています。

したがって、大学までの学校教育においては言語を使用した技術である表現力を磨くことがほとんどできません。


幼児期に身につけた「母語」は、自分で選ぶこともできませんし書き換えることもできません。
自分の努力では変えようがないのものです。

言語の感覚としては幼児期の「母語」で身に付き、語彙や文法については学習言語で身に付けます。
理解するために必要な言語力の基本的な習得が完了して初めて、その言語を使った表現ができるようになります。

小学校の高学年以降が表現力を磨くことができる時期となります。


小学校の高学年のころに言語について意識するようなことはないと思いますが、注意してみていると日常生活や学校生活の中で自然に表現することに対しての欲求が現れていることがわかります。

小学校の高学年から中学校にかけてこんなことを始める人たちが出てきているのではないでしょうか。

漫画を描く、詩を書く、日記を書く、交換日記を始める、人前で歌を歌う、などの表現する行為ですね。

基本的な言語の習得を終えて道具を持った彼らは、使い方を教わっていなくともその道具を自分の感覚で使い始めるのですね。




このタイミングで言語技術の習得のためのプログラムを提供できることが一番だと思われますが、学校教育の中では難しいのかもしれません。

言語の使用がなかったり、少なかったりする表現方法である、絵画や工作・音楽については専門の教科がありますが、国語科の中ではなかなか言語技術としての表現方法を学ぶところまでは無理なようです。


「語感」は個人固有のものとして経験によって身に付いてくるものであり、経験によって蓄積・書き換えをされていくものです。

また、個人の感覚として好みの語感についても変化していくものと言うことができると思います。

自分の好みの「語感」が、他の人にとっても心地良いものであるとは限らないのです。


「語感」には話し言葉としてのものと、文章・文字としてのものがあります。

感知する器官が聴覚と視覚で異なりますので、それぞれの「語感」として感じるポイントも異なります。


話し言葉としての「語感」のポイントは、第一は聞き取り易さであり、リズムと抑揚の心地よさです。

リズムと抑揚の心地よさが勝ってしまい、聞き取りにくくても気にならない場合は、言語ではなく音楽として受け取っていることになると思われます。


話し言葉としての「語感」を磨くのには、語呂合わせ(駄洒落)や掛け言葉などで遊ぶことです。

同音異義語や言葉の区切りで違う意味になったりする言葉を使って遊ぶことです。

紛らわしい言葉をたくさん使うことによって、その言葉を使ったときの聞き取り易さを磨くことができます。




リズムについては日本人に染みついてる感覚がありますね。

七五調です。俳句であり短歌であり様々な歌の基本になっているのが五音と七音ですね。


俳句や短歌の形式をした川柳や風刺歌は、昔から日本人の大好きなものであり、誰もが好む「語感」です。

駄洒落やオヤジギャグでどんどん「語感」を磨きましょう。


日常的に触れている特有の「語感」が存在します。
業界独特の言い回しなどがこれに当たります。

日常的に触れている「語感」ではありますが、これを「快」と感じるか「不快」と感じるかは個人によって異なります。

仕方なく使っているうちに「快」とも「不快」とも感じなくなっている場合もありますね。


文章・文字における「語感」のポイントは使用する文字の種類になります。

日本語の文章の標準形は漢字かな混合文です。

まず第一は、漢字とかなのバランスです。

漢字だらけの文章は、見ただけで読む気になりませんし、ひらがなだらけの文章は意味を掴むのにとんでもない労力がかかります。


漢字は表意文字ですので、文字を見ただけで意味を理解できるものです。

しかし、漢字だらけですと堅苦しさが目立ってしまい、読む気力が萎えてしまいます。

漢字とひらがなのバランスの良い文章は、とても読み易いために意味も掴み易く、読み飽きません。

また、文章としてのリズムもありますが、話し言葉ほどは「語感」に影響を与えないようです。


ほとんどの人が日常的に何らかの文章に触れながら生活しています。

仕事として毎日大量の文章に触れることもあるでしょう。

役所の申請受付け係では同じ文書を日に何通も目を通すことになるのでしょう。

それぞれの文章にはそれぞれの「語感」があります。


同じ文章に触れても、その「語感」を「快」と感じる人もいれば「不快」と感じる人もいます。

「不快」と感じる「語感」の文章については、その理解度が「快」と感じる文章よりも落ちることになります。





数多くの「語感」に触れることが一番大切です。

そして「語感」は一人ひとり異なるものであるという理解が必要です。


文章の目的によっても「語感」の選択が大切になります。

論文などで物理的な現象を精確に表現しようとすれば、漢字に頼る部分が多い「語感」になるでしょう。

子どもを相手にした童話の表現には、ひらがなで短い言葉が多い「語感」になるのではないでしょうか。


誰を相手にどんな内容を伝えるかによって「語感」を使い分けすることが必要になってきます。

より良い理解をしてもらうためには、相手に「快」と感じてもらえる「語感」を使用したいところですが、なかなか的確に相手の「快」に訴えることは難しいことです。

できるだけ「不快」と感じると思われる「語感」を使用しないようにすることの方が現実的だと思われます。


誰でもが「不快」と感じない「語感」があります。

訓読み漢字とひらがなによる、漢字を適度に使った文章です。

受取る相手によっては易しぎると感じる場合もありかもしれませんが、「不快」まではいかないようです。


文章の「語感」を磨く遊びとしては、わざと雰囲気にそぐわない「語感」を使って反応を楽しむということがあります。

リアクションが確認できる環境になければいけないのですが、それが可能ならば楽しむことができます。


堅苦しい文章には漢字が多くなります。
契約書や登録書・申請書などですね。

正確性を求めると漢字が多くなります。
固有名詞や専門用語などですね。


自分勝手な発信者側の「語感」があふれている現代ですので、少しでも相手の「語感」について考えただけでも理解が深まるのではないでしょうか。

日々数多く触れる文章に対して「語感」という目で見てみるのもいいのではないでしょうか。

「語感」で遊べるようになると楽しいですね。















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