人間そのものは宇宙と同様にどこまで行っても究明できない研究対象となっています。
細分化された様々な研究分野では、専門家が日々新しい発見と探究を深めていっています。
物理的・構造的な部分については医学や医療技術の発展に伴ってかなりのことがわかってきていますが、メカニズムや機能については分かっていないことの方が多いくらいです。
最先端の研究であっても、最後は人の頭で認識して判断したことで成り立っています。
認識 → 思考 → 表現 が通常の活動の流れになりますが、場合によっては同時に活動していることもあります。
これらのすべてを脳が司っているわけです。
この活動のことを思考と読んでいることになります。
この思考の機能として脳が働くための前提条件が言語です。
言語がなければ思考のための脳は機能しません。
本能的な機能や条件反射などは言語がなくとも活動していますが、認識・思考・表現の思考活動は言語がなければ機能しません。
認識は全身のあらゆる感覚器官で得た信号を脳が言語で理解することです。
表現は脳が言語で思考した結果を言葉や文章、行動などで表示することです。
これらの活動のすべてが言語によってなされており、それを統括しているのが脳だと言えるでしょう。
したがって、
言語が異なれば思考活動としての 認識 → 思考 → 表現 が異なることになります。
同じ言語であっても、持っている言語は一人ひとり異なりますので、すべての人の思考活動が異なることになります。
言語そのものが異なれば、その異なり方が更に大きくなることになります。
専門家と言うのは、その分野においてより多くの言語を持っている人と言うことができるでしょう。
後天的にその分野における言語を増やしてきた人と言うことも可能だと思います。
この言語によって異なる脳の機能はいつできあがるのでしょうか?
胎児は生まれるまでに母親のお腹の中で周りの声が聞こえていることがわかっていますが、生まれたときにはすでに決まっているのでしょうか。
少しずつ分かって来ていることを合わせてみると、どうやら幼児期に身につけた言語によって決まってくることがわかってきたようです。
赤ん坊は、生まれた瞬間から母親を見分けることが本能的・感覚的にできるようです。
そして、半ば本能的に母親に注意が向き、母親の平穏時の体調や声を一番心地がいいものとして受け入れるようにできているようです。
この段階での脳の機能に思考活動はありません、本能的な生命維持を中心とした機能だけです。
身体的に知覚的に家族以外との接触ができるようになるまでの幼児期の前半では、幼児の情報源は母親だけといってもいいと思われます。
母親以外から情報が取れるようになってからも、その内容については母親との確認行動を行います。
幼児期は前半期(0~3歳)と後半期(3~5歳)とに分けて考えられることが多いようです。
幼児期健忘と言う現象に基づいているのではないかと思います。
(参照:幼児期健忘について)
幼児期健忘に基づけば、3歳までの記憶はほとんどすべてが残らないことになります。
3歳から5歳ころの記憶については言語や民俗、性差などによって特徴があるようですが、ごく一部のものしか残らないようです。
言語についても同じことが言えます。
幼児期身につけた言葉は、物心がつくころにはほとんど記憶に残りません。
幼児期の言葉は、日常に使う言語にはならないのです。
では、
なぜ幼児期に独特の言葉があるのでしょうか?
じつは、幼児期のこの言葉によって思考活動のための脳を中心とした各器官が形成されるからです。
この時期の言語のことを「母語」と言いますが、母語に適した機能に各器官が発達していくことがわかってきました。
幼児期言語は「母語」によって各器官の基本機能が備わったところで、新しい言葉に置き換わっていくことで消えていきます。
「母語」として身につけた言葉は消えていきますが、「母語」によって形成された各機能にはしっかりと「母語」の言語感覚が刷り込まれています。
初めて聞いた昔の言葉でも、何となくニュアンスがわかるのはこのおかげです。
各器官の基本的な機能が定まったころに、身につける言葉が変わってきます。
幼児期の「母語」から学習言語としての「国語」に変わっていくのです。
見てきたように「母語」のほとんどは母親から伝わります。
母親の持っている言語が、子どもに伝えられる言語の限界です。
母親の言語は一人ひとり異なりますし、そのすべてを伝えることも不可能です。
したがって、子どもに伝わる言語もすべて異なることになります。
日本語以外を「母語」として選択することも可能ですが、選択した言語を母親が使いこなしている場合でないと、環境をつくるのが大変になります。
「母語」はひとつしか身に付かないと言われています。
幼児期に複数の言語に同じように触れていると、両方を合わせたものを一つの「母語」として身につけてしまいます。
2つの言語を併せ持つバイリンガルとはならずに、どちらの言語に対しても欠陥があることになり、とんでもない苦しみを味わうことになることが報告されています。
これからのことを思うと、日本語よりも英語を「母語」として身につけさせた方がいいのではないかと考える人もいりかもしれないですね。
そんな人は是非、気づかなかった日本語の特徴(1)~(6)を見ていただきたいと思います。
(参照:気づかなかった日本語の特徴)
日本人であるから見えていなかった部分もたくさんあると思います。
きっと日本語でしっかり「母語」を伝えたいと考えるようになってもらえると思います。