最近では文字や文章を書くことが減っているのではないでしょうか。
PCや様々な端末にワープロ機能が搭載されていますので、メールを打つことによって文章を書いたつもりになっているかもしれませんね。
日本語の特徴については何度か述べてきていますが、今回は「書くこと」に焦点を当ててみたいと思います。
昔から言われている学習方法に、「読み書き、そろばん」があります。
いま再び、世界中の注目を浴びていますね。
私が小学校のころは、書道や算盤は遊び半分で楽しく授業に参加できた記憶があります。
小学校に入ってからの、習い事の筆頭が書道と算盤でした。
今はそれが、公文式と言うことなんでしょうか?
私は、そろばん塾には通いませんでしたが、算盤に通っている子たちの暗算能力は憧れの的でしたね。
算数の時間の暗算の時に輝いている彼らの姿は、格好良かったですね。
先生よりも早くて正確なものですから、いろいろな場面で活躍の機会があり、とてもうらやましく思ったものです。
学校の授業では書道は、硬筆と毛筆がありました。
濃い目の鉛筆でかきかたノートを使った硬筆は、単なる反復練習ですぐに飽きてしまった記憶があります。
毛筆は、墨をすっているだけで時間がたってしまいました。
下書きのために、新聞紙をたくさん使った記憶があります。
いまは、文字や文章を書く機会が激減しています。
PCやメールはキーボードを打っているのであって、文字を書いていることになりません。
できあがった文字は読んでいることになりますが、キーボードを打っていては文字を書くと言う活動にはならないのです。
私の周りでも、クリエイティブな活動をしている人は、すぐに文字を書きます。
ホワイトボードや大き目のメモ用紙にすぐに文字を書き始めます。
書くことによる効果を身を持って理解しているのだと思います。
日本語の基本表現は「漢字かな混用文」となっています。
きちんとした文章を書く場合には、送り仮名や語尾変化などを丁寧にしたひらがなの使い方が大切になります。
アイデアや思考の補助として書く場合は、単語としての名詞が多くなりますので、最近ではカタカナやアルファベットが多くなっています。
私の友人に最先端のクリエイティブな分野にいるのに、カタカナとアルファベット略語をほとんど使わずにとても分かりやすい説明をしてくれる人がいます。
専門用語を並べたプレゼンに対して、クライアントの責任者より言われたことがきっかけだったそうです。
「君たちは分かってほしくて来たのか、それとも自慢をしに来たのか。」と言われた彼は、業界バカになっている自分に気づいたそうです。
それから、カタカナとアルファベットの略語を漢字に置き換えることを始めたそうです。
面白いことに気が付いたそうです。
カタカナとアルファベットの略語の表現していることがいかに漠然とした概念が多いかに驚いたそうです。
相手を煙に巻くにはもってこいなのですが、いつの間のか自分が言葉に踊らされて霧の中にいたことに気付いたそうです。
それからはとにかく漢字に置き換えるようにしたそうです。
自分だけしかわからなくても構わないので、漢字で理解するようにしたそうです。
自然と書くようになったとのことです。
漢字は表意文字ですから、書くことによって格段と理解が深くなります。
ある言葉に対して自分が理解した意味合いを漢字で表現することが面白くなった彼は、自分にしかわからなくも構わないという条件のもとで、勝手に漢字の組み合わせ(熟語)を生み出します。
漢字を使って書きだすことによって、それまで漠然としていた内容がきわめて具体的に鮮明になってくることがわかってきたそうです。
カタカナやひらがな、アルファベットなどで認識したことを、漢字で書き替えてみることによってより具体化されます。
その時に認識したことと書いてみた漢字との間に小さなギャップが生じます。
そのギャップを調整しようとして思考が働きます。
文字を置き換えたときに、元のニュアンスを100%伝え切れことは希です。
自分が認識したと思っていたことと、書いたものから得る感覚が微妙に違うことが思考を刺激するのです。
書くことの一番のメリットです。
下書きしたものをそのまま清書していたのでは、この感覚は得られません。
認識したことを何とか言葉に置き換えて書いてみることが第一歩となります。
書き表す文字は、文字自体が意味を持っている表意文字がベストです。
世界で現存している日常使用文字で表意文字は漢字だけです。
この文字を持っているメリットをしっかり利用したいですね。
書いた文字で話しても簡単には理解できません。
漢字で書くことは、自分の理解のためには役に立ちますが、人に説明するときにはきちんとした文章にしなければいけません。
漢字はそれ自体が意味を持っていますので、他の文字種に比べたら見て理解しやすいものです。
しかし、言葉で伝えるときの漢字(特に熟語)は音読みが多くないますので、そのままでは理解しにくくなります。
聞いている方は漢字の音読みを理解するまでに、聞く(音読み) → 検索(漢字選び) → 理解(漢字確定)、のステップがあります。
頭の中で、聞いた音に見合う漢字を探す活動が行われます。
同音異義語が異常に多い日本語の漢字においては、とても大切な活動です。
ここが理解を妨げる一番の原因になります。
すぐに最適な漢字が検索できない場合は、前後の文脈を考えたりして時間がかかってしまい、次の言葉を掴み損なうことが起きます。
更に理解できない原因が増えていくことになります。
これを避けるためには漢字の音読みで表現したののを訓読みに置き換えることが一番効果的です。
言葉として人に理解を求めるときは、文字としても話し言葉としても漢字の訓読みが最も効果のある表現方法になります。
そして、場所や時間や主格を明確にするためのひらがなの使い方が加わることによって、さらに具体的な明確な理解に結びつくことになります。
固有名詞をはじめとして具体的なものを表す言葉のほとんどは漢字です。
また、
ものの動きや状態を表す動詞や形容詞の語幹の部分はほとんどが漢字です。
漢字が表意文字である限り、話すよりも文字にした方が理解しやすいことは明白です。
そして、「書くこと」の二段階の技術があります。
自分の理解を深めるため、思考するための書き方は、自分だけしかわからなくても構わないのでひたすら漢字に置き換えて書くことです。
人に理解してもらうための書き方は、書いた漢字を訓読み表現に置き換えていくことです。
ひらがな入力にしろローマ字入力にしろ、キーボードで入力して文字を作っても役に立ちません。
漢字を自分の手で書くことによって初めて表意文字としての特徴が生きるのです。
漢字のない他の言語では、書いたところで思考は深まらないのです。
情報伝達の一手段として書き物としているだけなのです。
もっともっと漢字を書いて使ってみましょう。