2014年1月31日金曜日

和製漢字のチカラ(3)

明治期の和製漢字の創造においては、初めのころの夏目漱石のように批判的に見る向きもありました。

その中の一人に郵便制度の父と呼ばれる前島密がいます。

前島密は、1866年(慶応2年)に「漢字御廃止之議」という建議書を将軍の徳川慶喜に提出しました。
これは、国民の間に学問を広めるためには、難しい漢字の使用をやめるべきであるという趣旨のものです。

ひらがなを使用すべしと言う、我が国の国語国字の問題において、原文一致を提言した歴史的な文献です。


明治4年に東京大阪間で官営の郵便事業が始まります。
これは前島密の発議によるものです。

漢字の使用をやめるべきと提言した前島密が作った漢字が、「郵便」「郵便切手」です。

意見はしっかりと言うが、やることも誰よりもやるという当時の気概をうかがい知ることができる気がします。


明治期には全く新しい漢字を発明したものもあります。

翻訳できない外国語に対して「新漢字」を生み出してしまうことまでしたのですね。

単位のセンチメートルに対して「糎」、キロメートルに対して「粁」、ミリグラム「瓱」、などを造りだしてしまいました。


また、とても便利な漢字の使い方を編み出しています。

〇〇化、〇〇的、〇〇性、〇〇式、〇〇観、〇〇力、〇〇制、◯◯法、などは明治期の人たちが編み出した漢字の使い方です。

これらの表現は日本だけでなく、現代中国においてもいたるところで使われています。

違うものであるけれども何となくそれらしいことを表す、「〇〇風」のようないい加減な言い方は明治期にはなかったようです。


漢字が一気に増えてきたことによって、もともとひらがなとして存在していた「やまとことば」の漢字化も推進されました。

そのおかげで、基本漢字を元にした熟語を驚くほど生み出しています。

外来語から持ってきたものはほとんどが名詞であり、語彙は増えるものの基本的な表現方法は今までと変わりません。


動詞(熟語)のほとんどは古来より継承されている「やまとことば」にあります。

その動詞が訓読みとして漢字化されると、その音読みを利用した熟語が膨大に誕生します。

「かく」 → 「書く」 → 「書物」「書生」「書院」「書家」「読書」「封書」「密書」などですね。


「やまとことば」には名詞もありますので、これらも訓読み漢字が充てられると、一気に熟語が増えていくことになります。

「て」 → 「手」 → 「手紙」「手記」「手段」「手法」「挙手」「選手」「歌手」「手配」などです


「えび」を「海老」や「あま」を「海女」などもこのころ定着し始めた表現のようです。

もともと「やまとことば」として伝わっている言葉ですので、どの時点で漢字が使われ出したかは判断が難しいところがあるようです。

「かげろう」、「のろし」にたいして「陽炎」、「狼煙」としたのはまさしく表意文字としての漢字の面目躍如というところではないでしょうか。

明治期の漢字による世界最先端の文明の導入は、微妙なニュアンスの違いを残しながらも確実に日本独自の文化と融合していきます。

漢字と同じように、そこから日本独特の加工がなされて、反対に世界に対して輸出していくものも出てくるようになります。





世界の人口の中で、漢字を使用している人口が一番多いのです。
もちろん中国があるからですが、その漢字のほとんどのものが日本発なのです。

世界で一番多くの人が日本発の言語を使用しているのです。

改めて明治の偉人たちの努力に感謝ですね。